プロスイッチ

前回のあらすじ:風邪をひいた。
で、二週間経っても鼻づまりが治らず、喉もおかしいので、耳鼻科行くか迷ってる~と職場で話したところ、蓄膿症では?と言われ、検索して、あら?とびびって病院行ってきました。
結果、

ところで、最近読んだ本(クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ『錯覚の科学』(ISBN:9784167901769))で、本人のなかでどれだけの自信をもっていればどれだけの自信ありげな態度をとるのかは個人差だから、はたからみて自信ありげに見える人が客観的な有能さをもっているとは限らないぞ! 自信ありげな医者は信頼され、考えて医学書を確認する医者は患者を不安にさせるけど、それが能力を反映させているとはわからんぞ! って話がありましたが、今日の先生はあからさまに自信家タイプでした……。みればわかるから!って言って、みて、即断。かえってだいじょうぶかなと思いましたわ……。
医者の場合は、まあ、ちょっと特殊というか、一般人は、医者は病気のことはなんでも知っている、と思っている。気がする。みればわかる、と思っている。なんでも治せるわけではないとはわかってるけど、治せるかどうかはわかるはず、って思ってる。だから医学書を確認されると不安になる。誤診や手術ミスなんてありえない。私は内心でこれを「プロスイッチ」と呼んでいるのですが、プロスイッチが入っているプロは、ミスをしないと思っていて、ミスをしたときには、本人が意図してプロスイッチを入れていなかったのだからけしからん、みたいな感じになる。そんなはずないのに! どうも世の中にはそういうイメージがある職業というのがわりとあって、医者はその筆頭だと思う。パイロットが乗務前に飲酒するなんてありえない、みたいな(飲酒はちょっと違うか)。
と、いうことを思うようになったのは、いまの職になってからで、プロスイッチが存在していると思われてそうな職なんですけど、つまり、その職業に就くための訓練の期間とか難しさとか才能とか、熟練するための努力とか、収入とは、あんまり関係ないみたいなんだよなあ、プロスイッチが存在してそうな職業と存在してなさそうな職業の区別。たとえば弁護士の社会的立ち位置は医者と近いけど、法律についてはなんでも知っているだろうとは思っちゃうけど、いつでも裁判に勝てるとか、負けるのはプロスイッチを入れてないからだとかは思わない。勝ち負けのある職業はプロスイッチなさそう。スポーツ選手も、負けたときにやる気がなかったんだとかは言わない。試合の勝ち負けについてだけでなく、怪我についても、接触事故のようなものはもちろん、練習しすぎで怪我をしたなんて場合にも、本人が悪いとは思わない。
なんの違いなのか。失敗したときにけしからんと言われる職と言われない職の区別。
政治家なんて、失言してけしからんと言われることはよくあるけど、政治家はけしからん失言をしてあたりまえとも思われている気がする……。
まあ、存在しないんだけれどもプロスイッチ。私ももってませんけど!