意外性

年末に横溝正史『白と黒』(ISBN:9784041304136)を読みました。横溝正史、2冊目だよ! 前回は小学生のときだよ!
そもそも表紙が意外でしたね。

背表紙はあいかわらず黒かったんですが、それにしても、角川文庫の! 横溝正史の! 表紙がこわくなくなってるとは思わなかった!
タイトルがこれだから白黒なわけではなく、他のもそうだったんですが、でも全部がこれ(カバーデザイン・大路浩実)になってるわけでもないっぽい。

そして舞台が団地。金田一耕助と団地。へんな組み合わせ!
本をひらいてみると、そんなに黒くない。漢字が多いわけでも、みっしり文章がつまっているわけでもない。いや、小学生の私は『八つ墓村』を読むのにとても難儀したのですよ。なので、もっと黒々しいのかと思ってた。紙面が。
で、読み進めてみるとまた意外なのが、金田一耕助の存在感がない。特徴がない。あまり役に立ってない。名探偵、それでいいのか……。
その一方、事件関係者はわりとキャラが立ってるというか、人数が多いわりには、「だれだっけ?」とはならない。もうね、事件がどうとか犯人がだれだとかいうより、団地の人間関係のおかしさ(滑稽さ)で、読ませているようなもの。これ、金田一耕助シリーズの典型ではぜんぜんない、たぶん。

作品の執筆・発表年代はわからないんですが、作中年代は、昭和35年、1960年。まえに、戦後の日本のミステリに古さを感じるのは、社会における女性の役割の違いではないか、と書いたわけですが。
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この作品にもその点、気になったところがある。警察と金田一が既婚女性ふたりを前に事情聴取をしていて、その呼びかけが、「奥さん、須藤さんの奥さん」「奥さん、宮本さんの奥さん」なのである。いや、ふつうに「須藤さん」「宮本さん」でいいやん。なんで「奥さん」。亭主のほうと交流があるというならわからなくもないけど、このふたりの亭主とはほとんど会っていないのである。男の「奥さん」であるという面しか女はもたないと規定されているかのよう。
でも、個々の人物造形としては、そんな風には描いていない。女性たち、金田一や刑事たちより、よほど存在感がある。じぶんのことを「きっとお脳がヨワイのよ。」って言った女の子がいて、彼女が作中もっとも印象的でした。いや、「お脳」ってのがもうインパクトありますけど。
あと、むっちゃつっこみたいのが、男が婚約者をつれこむのに、友人の妾宅を使っているシーン。立派なお家で、そんな妾宅をもつ友人がいる男に感心する女……待て、それ、当時の感覚でもそんな女はそれこそ「お脳がヨワイ」のでは? 違うの? これ、いいの?
で、殺人の動機に、現代的視点では、すっごくもやもやするんですけど、ネタバレなので書けない。