武士の正月

前田土佐守家資料館、企画展「新春を祝うー前田土佐守家のお正月」です。

前田土佐守家というのは前田利家とまつの次男、利政を祖とする分家です。土佐守家というのは本家と区別するための通称。ちなみに本家のほうは長男、利長が二代目ですが、子どもがなかったため異母弟、利常を養子としたので、まつの子孫ではないのです。

おもしろかったのは、毎年、正月二日に遺書を書く、という。前年にこれこれの役目をもらってありがとう、自分が死んだら後継者は誰々に、というだけなんですけどね、

月番加判の御用も仰せ付けられ、かつまた芳春院様二百回御忌の御法事御用を京都で勤めることを先格のごとく仰せ付けられ、先代と変らず人持組頭・叙爵まで仰せ付けられ、金龍院様(=十二代藩主前田斉広)が御隠居なさって竹沢御殿へ御引き移った時には斉広様専属の御用を仰せ付けられ、そのほかいろいろ兼役する御用などを仰せ付けられ、折々結構な御用を仰せ付けられ、重ね重ねありがたきしあわせと藩主様の御恩、大変もったいなく、なんと申し上げてよいのやらわかりません。

えっ、なんかこれ、こんないろいろ仕事ふってくるんじゃねーよ!って感じがするのは気のせいか。殿様にそんなこと言えないよね、って思うけど、殿様宛てではない……? のかな?
江戸時代には「藩主」とは言ってなかった、と、前にちらっときいたことがあるんですが、原文では、たしかに、使ってない。上の文の「藩主」に相当するところも、略されてます。「御鳴恩之程冥加至極」ってなってて、訳すときにわかりやすく補っているみたい。
後継ぎ、自分に子どもがない場合は、そっちで決めてね、って書いてて、それでいいんだ……という感じ。

あと、すごろく。
「甲冑備着用双六」という、甲冑装備の手順を描いたすごろく。1マス目はふんどしよ……。
加賀藩職制双六」という、さいころ振って出世するぜすごろく。
ミュージアムショップで複製が売ってましたけどね。もともとのは、幕末です。そろそろ戦争はじめるぜ!のころであり、そろそろ加賀藩終わっちゃうぜ!のころです。
いったい、どういう人たちが、どんな顔でさいころ振ってコマをすすめていたのか! 対象年齢は何歳!? ものすごく、わからない!