逃避について

現実逃避で「現実逃避」について考えているのですけど(前向きなんだか後ろ向きなんだかわからん)、どうやら私は逃避を悪いとは思っていないらしい、と気づいた。
昨日の分類でいったらいまは「冬眠したい」であって、「誰とも喋りたくない」「仕事したくない」「眠い」「暖かい」「体調が悪い」に相当するのですが、体調が回復すればまあだいたいなんとかなるだろ、とかいう楽観が根底にある。第一、「喋りたくない」「仕事したくない」はいつものことだし。
あと、逃げるとはいっても、嫌なことつらいことめんどくさいことから、自分が走って遠ざかる、というイメージではないです。嫌なことつらいことめんどくさいこともろもろが目の前を通りすぎるのをじっと待つ、という感じ。これ、逃げてても疲れないです、走ってないから。追いつかれるって恐怖もないし。だったら、つっ立っててぶつかられるって恐怖はないのか? うん、ないです、だって通りすぎるし(だからその根拠のない自信はなに)。
問題が解決するわけではないけど。
勢いよくぶつかってくる問題はとりあえず避けとかないと、危なくって。自分が弱ってるときにも、とりあえず避ける。あとのことはあとで考える。
……逃げつづけても疲れないなら、ずっと逃げつづけることになるんじゃないか?というつっこみもあるか。
……
でもそもそもどっちが「前」なのか「後ろ」なのか、わからないんですよ私は。わからないっていうか、自分でまだ決めてない。世間的な「前」だったら知ってるけど、そっちはつまんないなあ、と感じているので、……うーん、まあ、そのうち。と、十年以上。
とりあえずきょうはねむい。おやすみ。