自殺対策基本法

珍しく時事ネタ。

 自殺対策を国や自治体の責務とし、超党派による議員立法で国会提出された自殺対策基本法が15日午後、衆院本会議で与野党の賛成多数で可決、成立した。自殺について「多様かつ複合的な原因及び背景を有するもの」と定め、官房長官をトップとする自殺総合対策会議を内閣府に設置し、対応状況を国会に報告するように義務づけている。

 年間の自殺者が98年から8年連続で3万人を超える中、自殺を単に個人の問題として片づけるのではなく、社会的に取り組むべき課題として基本理念で位置づけた。国や自治体、医療機関、事業主、学校、NPOが密接に連携して対策にあたるべきだとし、未遂者や遺族への支援充実も掲げている。事業主に対しては従業員が心の健康を保てるよう必要な措置をとるよう求めたのも特徴だ。

昨日の朝にラジオでニュースを聞いて、なんだそりゃと思ったので、てきとーに調べてみたのですけれど。

  1. 1991年、国連総会で自殺予防に対する具体的な行動を開始することが提唱される。
  2. 1996年、国連およびWHOが国家レベルでの対策のための「自殺予防のためのガイドライン」を承認し、配布する。
  3. 1998年、自殺者が急増、3万人を越える。
  4. 2000年、WHOが一般医、プライマリケア従事者、メディア関係者等に向け、それぞれの手引を作成、公表する。
  5. 2000年から、厚生労働省が「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」を推進する(2010年に自殺者数を2万2,000人以下とする目標を掲げている)。
  6. 2002年2月から、厚生労働省が「自殺防止対策有識者懇親会」を開催する。12月に「自殺予防に向けての提言」をまとめる。
  7. 2005年4月〜11月、総務省が自殺予防に関する調査を実施する。
  8. 2005年10月、電気通信関連4団体が「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン」を策定する。
  9. 2005年12月、自殺対策関係省庁連絡会議で自殺予防の総合対策をまとめる(2015年に自殺者数を2万5,000人以下とする目標を掲げている)。
  10. 2005年、8年連続で自殺者が3万人超。
  11. 2006年6月7日、NPO法人自殺対策支援センターライフリンク」等が自殺対策を求める署名を参議院長に提出する(署名は全部で10万人分以上)。
  12. 2006年6月15日、自殺対策基本法が成立する。

国際的な流れが先にあったようです(「“自殺対策先進国”めざす」なんて言うのでどうしようかと思ったのですが、そういうことらしい)。日本は先進国のなかでは自殺が多いらしい。で、それぞれの地方自治体やらでなんか対策してね、と指導はしてたけど、自治体ごとで取り組みの差が大きく、ぜんぜん進まない。NPOからも働きかけがきてるし、やっぱり対策するっていう姿勢は見せとかないとね、先進国なんだし。国際社会の一員なんだし。ってことで法制化に至った――ってことで、いいんでしょうか?
日本の自殺率は高く、米国の2倍、英国の3倍――と、いいますけど、これ、「数え方」によってだいぶ上下するのではないかと……。自殺か他殺か事故か、よくわからないときに、どう振り分けるのか、とか。それに、社会的に自殺ダメの風潮が強すぎるので、自殺するにしても自殺だとわからないようにする人が多い、のかもしれないし。
日本でも、警察庁文部科学省では児童生徒の自殺者数がだいぶ違うらしい(文部科学省が半分以下)のですが、その理由が、こう。

両者に暦年と年度での集計の違いや文部科学省が公立学校の児童生徒に限定しているという差異があるものの、文部科学省の「生徒指導上の諸問題の現状について」の児童生徒の自殺者数は、あくまで公立学校が自殺であると把握したもののみが報告されていることによる。

ま、だから、数値目標を掲げたって、なんとでもなるよね、と。お金をかけてやることである以上、目標を持ち数値を出さなければならないという事情はわかりますけど。


WHOが「自殺は、その多くが防ぐことのできる社会的な問題」と言ったらしく、このことばはあちこちで引かれています。私が違和感をおぼえたのはここなんですけど、よくよく考えてみればたしかに「社会的な問題」だな、と。人々に自殺されて困るのは社会であって、社会が困るというならそれは社会が解決すべき「社会的な問題」なのである。
「個人的な問題」ではない。個人的には問題にならないから――ほんとうに個人的に考えてしまうと、死んではいけないってことはない。
けど、社会的にやってはいけないことをやった(けど失敗した)人――自殺未遂者にやさしくしよう、罰は与えません、っていうのは、つくづく自殺というのはまともなこととみなされてないのだな、と。責任を負わせないというのは、その人にまともな人格を認めていないということだろう。やってはいけない、とはいっても、「悪いこと」っていうポジションではなくて……、「異常なこと」、かな? 殺人よりも異常度は高い、かも。
まあ、こんな法律があろうと、死のうと思えば死ねるので、私としては別にいいかな……、と(いまのところ死ぬ予定はありませんが)。けど、

六 自殺発生回避のための体制の整備等
国及び地方公共団体は、自殺をする危険性が高い者を早期に発見し、相談その他の自殺の発生を回避するための適切な対処を行う体制の整備及び充実に必要な施策を講ずるものとすること。

……こういう自殺を容認するようなこと書いてたりすると発見されて適切な対処を行われちゃったりするのか?


遺された家族や友人がつらい思いをする、というのは(ちょっとだけですが、そして実感はともなってませんが)想像できますし、そういうケアは進んでいってほしいと思いますよ(フォロー)。けれど、自殺に至るほど勤務条件が悪いとか、そもそも仕事がないとか、そういうのはそれぞれで対処する問題であって、わざわざ法制化することかな……と、いう疑問。死ななきゃいいってもんでもないだろうし。あんまり自殺ダメ感が強すぎても、人によっては生きづらいような気がする。
というか、自殺を減らしたいなら、手っとり早いのは宗教ですよ宗教。多少つらくっても、修行だと思えれば気持ちいい、というやつ。