アホな話をします。

昨日の答えの、補足……に、なってない……。
なんで私がいちおう生きるほうへ誘導しようとするかといえば、私が病気になったほうだったら自殺しないだろう、というだけで。具体的に友人役に誰かを想定してなかった、というか、自分自身を想定してしまってたかもしれない。てか、他に想定できる人がいない……。
すっごく痛くて苦しかったら別ですけど。ときどき多少は痛いのを我慢しなければならなくて、身の回りのことでも金銭面でも人の世話にならなければならなくて、それでも治らずにそのまま病院で死ぬことがわかりきっている――と、いうのだったら、私は死を選ばないと思う。今現在、健康(腰痛持ちだけど)で、自分で自分を養えてるので、そういう状況がちゃんと想像できていないのだと言われればそれまでで反論しませんけど。でも、それは逆に、このまま病気にならずに生きていく未来も、きちんと考えてなんかいない、ということであったりも、する。
まあ――自分で自分を養うことができて、自分は自分しか養わなくていい、というのは、思いのほか「楽」なことである。働かずにすむならそれにこしたことはなくて、拾った宝くじが一等だったとか会ったことのないブラジルの伯父さんの遺産が転がり込んでくるとか、そういうのがいちばん理想なんですけどねー。その次には、自分でなんとでもなると自分で思っていられる、というのが、やっぱり楽ですよ。こんな調子で死ぬまでいられたらいいんですけどね、思ってるだけで何もしない、貯金はきらいだし保険も好きではない。あ、でも、先がないといわれている年金を払うのには抵抗がないんです、あれは寄付だ。と思っておけば気分がよい。そういう自分がちょっとわからない。
……なんの話だっけ?
そうだな、明日をも知れぬ病にかかったら、そのとき私はどう感じるのか――それが、健康(腰痛持ちだけど)な今の私からしたら、興味深い。そして、その病気になった「私」も、死が近づいてくるときに「私」がどう感じるのか、興味深いと思うのではないだろうか。
なぜなら、私は自分が死ぬものであるということをまったく理解していないからです。
……。
私は死がこわくないんですけど、どうもそれは自分が死ぬとは思ってないかららしいんですよ。どんな状況だろうと自分だけは助かるって思ってるらしいんですよ。それを、信じてさえいないんです。ほんとうにそう思っているから。アホです。
いや、よくある話なんですけど、自分だけは助かると思っている、っていうの。死にかける目に遭ってはじめて命の儚さを知る、みたいな。でもな、死にかけるぐらいのことで私が死ぬということを理解できちゃったりするんだろうか?とても疑ってます。だから、興味深い。
死にかけたいわけではありません。うっかりすれば死んじゃうんだろうし。でも、死ぬとは思ってない。そういう自分がだいぶわからない……。