「Log of ROYGB - あなたは二者択一を迫られます」経由で、二者択一の質問。
あなたは二者択一を迫られます。
全く知らない人、1億円
どちらか一方しか助けられません。一億円を選べば人は死にます。
人を選べば一億円はなくなります。
どちらを選んでも誰も非難しません。
誰も知らないのですから。私を除いて。
さて、あなたはどちらを選びますか。
手持ちのポイント(260)がなくなり次第うちきらせてもらいます。
って質問者さんがことわっているにも関わらず、40も回答がついてましたね。なぜ開かれないかもしれないのに回答するかなー、と思ったのですが、これも「ほっとけない」質問なのかも。
では、損得を勘定しましょうか。
- 人を選んだ場合
-
- 人を助けてよい気分になれる
- 人を選べるような自分はいい人間だというよい気分になれる
- 一億円あったらあれができたのにこれが買えたのにという後悔にとらわれる
- 一億円を選んだ場合
-
- 一億円でいろいろ買える
- 人を助けなかった罪悪感にさいなまれる
- 人を助けるより一億円を選ぶような自分は醜い人間だという自己嫌悪に陥る
……まあ、いろいろ考えるまでもなく私なら人を助けるほうを選ぶ。そっちのほうが無難で、めんどうがないから。より得をするほうを、と考えるのではなく、損をしないほう、で考えるわけですよ。それが無難な選択というもの。
ただ、人を見捨てたとして、ほんとうに罪悪感にさいなまれるのか、っていう興味はある、かも(……それは、「一億に目が眩んだ」と言うより、「人としてどうか」と言われそうな……)。
質問者さんのコメントより。
もし、人間の命がかけがえのないものであるのなら
私は一億円を選ぶことを提案します。なぜなら一億円は一人より多くの人を救える可能性が高いからです。
命がかけがえのないものであると考えるなら、私は、人を選ぶことを推奨します。なぜなら、命の軽重をはかることなどできないからです。ひとりの命と、百人の命、あるいは一億人の命……どちらが重いか、などと判定できない。それが「かけがえのない」ということの意味だと思います。この質問の設定では、選ばないと確実に死ぬ、とのことなので、選ぶしかないでしょう。
もし、ある品物が無比のものなら、千ポンドであろうが一万ポンドであろうが、そのほかどんな値段をつけようが、おんなじことじゃありませんか。どうしてそんなことがわたしにわかるのです?
……私が、命はかけがえのないものであると考えている、というわけではありません。私の命を大切だと感じるのと同じように、他のすべての人の命を大切と感じているわけではない、つまり、私は命の軽重をはかっています。
一億よりずっと大金ならわからない、という回答もありましたけど、いくらでも変わらないんじゃないか、と思います。もし百億円だったとしたら、その「知らない人」の命が百億円分の価値を持つ、というだけ。天秤のつりあいは、変わらない(両皿に同じ重さの錘を加えるだけだから)。
あなたは二者択一を迫られます。
全く知らない人、あなたの全財産
どちらか一方しか助けられません。
……こうすると天秤が揺れる。
…………うー、私は、自分の財産を選ぶでしょう、ねー……。というより、すでに、現に、そうしている、ということか……。
……天秤が揺れてしまったと感じたなら、もうその時点で、命が無比の価値を持たないことの証明になるだろう。どちらに落ち着いたとしても。