「どうせ誰も読みはしないのに。」

むやみに並んだ本にガンを飛ばす。なんでこんなにたくさん本を刷る必要があるんだ、どうせ誰も読みはしないのに。取り澄ましたこぎれいな背表紙はなんの返事もしなかった。

昨日のは「なんで世の中にはこんなに本があるんだろう」なんてタイトルでしたが内容はぜんぜん(?)違うわけで、ふと思いついたフレーズだったものの、なんでだろう、とか改めて考えはじめた。そこで真っ先に思い出したのが上の引用部分で。どうせ誰も読みはしない。私は本好きですけど、このことばに反発をおぼえないのでした。「私が読んでるよ!」とは、思わない。書く立場としても、そう。どうせ誰も読みはしない。と思っている、というと、えーと、実際読んでくれる人に失礼千万なんですけど。誰にも読まれなくてかまわない、というわけではぜんぜんない。公開しているのは読まれることを期待しているからです。なので読んでもらえれば嬉しい。そして、たいへん傲慢なことに、きっと誰かの役に立つと信じていたりするのだ。どういう形であれ。いまじゃなくても。信じているし、願っている。なのに、どうしてだろう、どうせ誰も読みはしない、と、思っている、というのは。思っている、というのすら、違うような気がするけど。自分でわかりません。諦念ではない、とは思う。
うーん……。
なんだっけ。
そう、なんでこんなに本があるのか、といえば、書きたい人がたくさんいるからなのだ、きっと。読みたい人がいるからではなく。読みたい人も、書いている人か書く人予備軍だ。そのうち出版社は書き手から金をとるようになるかもしれない。みんな何かを言いたくてしかたないのだ。だって、ただ内容を残したいというだけだったら、すでに書かれていることがほっとんどだから。新しいものなんてめったにないから。
というこの文章も、きっともう誰かがいっぱい書いている。