世間話の妙

先日職場で、隣りの席からふと、こう訊かれました。
「クローン羊ってどうつくるの?」
……知らん!
「……さあ」
「人間のクローンってのもできるようになる?」
「まあ、いずれは?」
「でも、いきなりでっかくなるんじゃなくて、成長するのはふつうの人間と同じでしょ?」
「そうです」
「ふーん、それじゃあ、同じ人間っていっても、だいぶ、違うか……」
「……まあ」
「でも、自分と同じ人間って……」
「いや、クローンって、自分と同じじゃない、DNAが同じってだけなら双子だってそうだし」
「うーん、じゃあ、自分ってなに?


リアル世間話でその問いを耳にできるとは……! 新鮮。こういうとき、とっさに気の利いた返答をできない自分の頭の回転がもどかしい……!
ただ、クローンに関しては、ふつうに、ぜんぜん、別の人間だと思っているので、そこから話を発展させにくいのですが。
けど、たんに「別の人間」ってだけでも割り切れないものはあって、そのへんの感覚は喜多尚江の『空の帝国』(「そら」じゃなくて「から」と読む)に由来しています、たぶん。
主人公の少年がある人物のクローンなのですが、その彼が呟いた

「俺 複製なんだね」

っていう一言にかけられることばがない、っていうか……まあ、そりゃ、端的に事実なもんで、「そうだね」としか言えないんだけれども。でも、なんか言ってあげたいような気になってしまうのはなぜ、というか。泣いてるからか。でも、よく泣く子だからな、いまさら……。
クローンは双子と違って、何か目的があってつくるのだろうから、たまたまDNAが同じっていうんじゃないし、それはもちろんクローン体本人の成長に影響を与えるわけで……それに沿うようになるにしろ、反発するにしろ、……まあ、たいへんだよなあ……と、まぬけなことを、呟いちゃったりとか……
と、いうわけで、クローンというものに、なんかもやもやしたものを感じてるんです。頭で考えてると、たんに別人、ってだけで終わっちゃうんだけど。
まんがってすごいよなあ、ちょっと賢くなる(←?)。