「『本格ミステリ’10 二〇一〇年本格短編ベスト・セレクション (講談社ノベルス)』で、大山誠一郎「佳也子の屋根に雪ふりつむ」という短編を読みまして」
「うん」
「『殺人者の血が流れてるから息子とは結婚させない』って彼氏のママから電話がかかってくるんだけど」
「うん」
「あ、その娘さんのパパが昔、人を殺したのね、なのでそのパパという殺人者の血が流れてるのは事実、っていうか、まあ、いま、彼女の身体を流れている血がそのものパパの血ってわけじゃないからこの時点で比喩ではあるんだけどさ」
「なにが言いたいのかわからん……」
「うん、それで、なんで『息子と結婚させない』になるの?」
「……えーと、むずかしいこと訊くね」
「むずかしいの?」
「うん。それは『イヤだから』だからだよ」
「だからだから?」
「そのママがダメだって言う理由が『イヤだから』で、それをまったく共感しない、素で疑問に思う相手に納得させるのはむずかしい、から」
「……うーん。えーと、へえ、イヤなのか。ふーん」
「あれっ、納得しちゃった!?」
「いやぜんぜん。できないからそこは措いとくとして。この『殺人者因子』はいつどこで発生するの?っていうのがふたつめの質問」
「んー、そりゃ、人を殺したときでしょ」
「じゃあさ、パパが人を殺したのが娘さんが生まれたあとなら、娘さんには『殺人者因子』が受け継がれてないってことになるよね」
「そ……う、か? な?」
「じゃあ結婚しておっけーだよね!」
「いや、たぶん、それはダメ。【『殺人者因子』の因子】がある、って考えるね、ママ」
「ややこしいなあ」
「そこが『イヤだから』の手強いところなんだよぅ」
「んー、じゃあ、子どもが殺人を犯したら、親は【『殺人者因子』の因子】を持ってた、ってことになるのかな」
「あー、うん。あえて理屈にするならそんな感じかな……」
「理屈じゃないの?」
「だから、『イヤだから』なんだって……」
「まあ、祖先に殺人者がひとりもいない人間なんているのかって疑問もあるけど。自分に『殺人者因子』があるとは思わないのかな、このママ」
「いや、君ね、まだ誤解してるような気がするんだけど、ママが気にしてるのは、この娘さんに『殺人者因子』があるかどうかでも、ましてやそんな因子がほんとうにあるのかどうかでもないと思うよ?」
「えっ、こんな長々と語っておいてそこをひっくり返すか?」
「待て、『殺人者因子』なんてもんをもちだしてきたのは君だ」
「む」
「ママは、殺人ってゆー禁忌を犯した人間に近しい人間に近寄りたくないの。加えて、自分だけでなく他の人もイヤだろうと思ってて、それで自分が禁忌に近い人間に近寄る人間だとも思われたくないの。生理的になんかもーイヤ、ってほどイヤだから、禁忌なんだよ」
「……あー。納得できない、で、横に措いといちゃったけど、奥が深いんだね『イヤだから』」
「深くないよ。深くないのに深くしたがるの、『イヤだから』」
「深いじゃん」
「深くない深くない」
「むぅ」
「というか、それ、ママの息子はどうなのさ。読ませて」
「ほい」
…………
「出てこないじゃん息子! なにしてんだ息子!」
「なにもしてないねえ。電話にも出やがらないねえ」
「ダメじゃん!」
「はじめからママの話ばっかりしてた時点でそこは察してください……」
「あーあ、娘さん、自分に絶望しないで彼氏に幻滅しとけよ」
「そしたら話が始まらないのであった」
「あー、そういう意味では瑣末な、話が始まる前の話をしてたのか僕ら……」