十年前、十年後

一年だか二年だか袖を通さない服は捨ててしまえ、っていいますけど、本は何年ですかねえ。そういう基準を設けている人は、ほとんどいないでしょうが……。なぜか。服の価値はほとんど着ることにあるけど、本の価値は読むだけではない、ってことでしょうか。まあ、服の価値だって着られることだけではないんですが。
しかし読む以外の本の価値って、なにか。装丁や紙自体の価値、というのがあるにしろ、けっきょくのところ、「読める」ということにあるんじゃないか。「読む」価値とどう違うのかって感じですけども。将来、役に立つかもしれない、必要になるかもしれない、わかるようになるかもしれない、という可能性が「読める」価値。いま、読んでおもしろい、というのが「読む」価値。かな。そして、この先この服を着るかどうかの予測に比べて、本は予測が難しい。服は、体型年齢流行趣味などの変化によって制限が加わる上、その変化の多くは不可逆だけど、本は制限が少ない。
と、いいつつ、最近の私は本を処分してしまいますけど。十年前は、十年後にこんなんなってるとは想像してなかった。と、思うと、十年後の本とのつきあいがどうなっているか、想像できない。このまま減っていって、一冊も持っていない(電子書籍含めて)かもしれないし、また、どーんと増えているのかもしれない。
しかし、自分のことなのに、想像できない、というのも、へんだ。自分の考えがあって自分の意志で自分の行動を決めるというなら、想像できないはずがない。でも、とりあえず、私は、十年後の自分の生活を決めるつもりはない。じゃあ、五年後は? 一年後は? 三日後は?