靴は消耗品

この三年半ほどで、七足ぐらい買って、六足ぐらい捨てた(しごと用含め)。
やけに消耗が激しいので、はじめのうちは、安いのがわるいのかと思った。ほんとうに高くてよいものは違うのかもしれないけど、とりあえず3,000円と6,000円ぐらいではたいした違いはないね!
で、なんで消耗がはやいのかといえば、たんに使っているから、ってだけの話であるらしい。まえの生活より五倍は歩いているので、五倍よりはやく履きつぶしてしまう。一足まるまる履きつぶすよりも、二足交互に使うとか、運用を改めればもっと保つのかもしれないけど……。

「消耗品」と対置するのはなにか、というと、たぶん、「思い出の品」です。
すべてのものは変わってゆく、消耗していく、ので、それでも捨てられないものっていうのは、「思い入れ」のあるものだろうな、と。具体的に、なにかエピソードのある「思い出」があるかどうかっていうより、「思い入れ」かな。
まあ、ちょっとびみょうだな。
じぶんから捨てることはできなくても、火事とかで失ったとしたらあきらめがつく、とか。
代替え品が手に入ればいい、とか。
それとも、おんなじ本であっても代わりはない、といいきれるか。
とりあえず、私には「思い出の品」はない気がする。失ったとしてもあきらめがつく、っていう意味では、すべて、あきらめがつく。モノでも電子データであっても。
うーん、あきらめられるか、っていう点でいえば、性格の問題が大きい気がするな……。
あきらめはつくけど、惜しい、ってモノは、クマだな。クマですね。だからそんな悲しそうな目で見ないで……。(ここから顔を上げてちょっと左を見ると目が合う)(やっぱり「目」があるものって強いよな)

君はある意味永久不変の存在ですから。媒体に依存しません。