飛鳥部勝則『鏡陥穽』

ISBN:4163241108

悪とは原初的な“割る”であり、自然と人間の裂け目であり、人間の根本的な成立条件ですらあり得ます。それは価値概念や行動の属性ではなく、それらを成り立たしめる根源そのものであり、人間と自然、文化ないし社会と自然の割れ目であり、落差であり、私たちの生存の場の一切の空間化、時間化の根源にほかなりません。こうした悪の割れ目のはらむ心理的緊張感によって初めて、人間の時間が流れ始め、歴史が始まったのであり、むしろ、そのテンションこそが、人間の場の時間、空間、歴史そのものに他ならないといえ、さらには、悪によって初めて死が現れ、その死と生との間に張り渡された緊張感のうちに、時間や歴史の意識が発生し、この割れ目のテンションを無に帰そうとする願いが、永遠の生、無垢の生、そして神を構想せしめ、逆にまた、あらゆる種類の世界の終わり、時間の終わりとしての終末論のヴィジョンを生み出させたということは事実であり――それは同時に、これらのヴィジョンの根源もまた、善であるよりは、悪の割れ目によって開かれた善と悪の落差であるということはいうまでもなく、悪はこのようにして、人間の生存の場の一切の構造、死、時間、歴史、意識、知識などの根源となったわけであり、それはいい換えれば、つまるところ一つの無でしかなく、実体的な力でも、既成の価値基準といったものでもない、すなわち無としかいいようのないものだったのだと考えられてきたのです。

……なにいってんだかわからない。