一度目の人生

予告したので。

一度切りの人生なのに、人の目を気にすることで自分が本当にやりたいと思うことをできないで、満足できない人生を中途半端に正当化しながら生きている人が多い気がします。

現実の自分と、思い描く理想との間にギャップがありすぎて、自分がその理想へ向かうことがそもそもおこがましいように感じてしまい、結果的に踏み出せずになぁなぁに生きてしまっているのだと思います。

きっかけがあれば、それまでの自分を全て投げ捨ててでも自分らしく全力で生きたいですか?

こたえ:誰でも「自分らしく」しか生きられない。
……ってのはともかくとして。
選択肢のなかから選ぶなら、現状、絶対後悔しないだろう人生を送っている


「一度きりの人生」というのが、まず、ぴんときません。「一度きりの人生なんだから」も、「一度きりの人生なのに」も。ひとつには、「自分の人生」というものがわからない、というのがある。おぼえていない生まれたときから、いつくるとも知れない死ぬときまでをひっくるめて、「自分の人生」と総括する、というのが。なので、「一度きり」もなにもないな、と。他人のならば、勝手に総括しちゃってかまわないけど。
ふたつめ、「じゃあ、一度きりではなかったら何か違うのか?」。「あなたは、あなたの人生を何度も繰り返すことができます」ということになったら。……それはめんどくさいですね。どうせ同じところにいて、同じことをやっているよ、何度繰り返しても。
(ちょっと脱線。生まれかわりというのがあるとして、前世の記憶があるとしたら、いまの生を、「何度目かの人生」だと感じるのだろうか? 前世の記憶の主人公を、「自分」だと感じるのだろうか?)


しかし、こういう質問なのに、20代までの若い層に限定しているのがよくわからない。でもって、選択肢が足りていない。足りていないというか、統一性がない。前半ではすべての場合を数え上げるようとする項目になっているのに、後半はそうではない(「現状に満足していないが、自分らしく生きたくもない」、というのは、なし?)。
にしても、「自分らしく生きたい」って……自分が思う「自分」らしく生きられていないとしても、「自分が思う『自分』らしく生きられない」ということを含めて、「自分」だ。誰だって自分らしく生きているし、自分らしくしか生きられない。自分でふだん思っているよりもずっと多くのことを、自分で選んでいる。選ばずに済むのは――選ぶことができないのは、「死」ぐらいかもしれない。