答えてみます。

友人が明日をも知れない病気になった。

医者の話によると予後は良くなく、手術をしてもほとんど助からないといことらしい。

見舞に行った病床で、彼/彼女は「どれだけがんばっても死ぬんだから、もう死んでもいじゃないか」と言いだします。

A.死んでも良いと答えた場合

自殺した友人の遺族に責められたら?
……現実に私がとりそうな行動というなら、「沈黙する」でしょうね。それも、意図をもって沈黙するというのではなく、結果として沈黙になる。そんな風に責められたらいちおう私も動揺するだろう。で、何か言わなくちゃとか考えるのですけど、その人に伝えたいこともわかってもらいたいこともなければ、その人を納得させる義理が自分にあるとも思わないな、とか感じてしまって、だとしたらてきとーなことを言ってこの場だけでもなだめすかしておく、というのが得策なんだろう、と思いつつ、そんなうまくひとの機微をついたことを言える人間ではないことはわかっているので、考えても無駄だしもうなんかめんどくさい、はやく立ち去ってくれればいいのに、ということになって、黙ってるんだ、きっと。
……。
いや、どう回答すべきか、という質問ではないし。
それに、やっぱり、私の言葉で友人が自殺を決めたのだとしても、のこされた他の誰かに対してすべき何かが自分にあるとは、思わないと思うのです。友人自身が大切に思っていた人に対しても、です。

B.死んではいけないと答えた場合

延命措置で苦しむ友人に責められたら?
……んなこと私に言われてもな、選んだのは自分じゃん、と思うでしょうけど、いくらなんでもそのまま言ったりはしないよな。……やっぱり「沈黙」か?
別の友人が同じ病気になったら?
……はじめの友人に対してとかわりないのでは。
というか……、
そもそも、その答えが知りたいわけではないですよね。「死んでもいいのではないか?」という問いの、答え。訊く相手の答えを知るために訊いて、それを参考にして考え、死ぬかどうかを決定する、という人は稀だろう。たいていは、言ってもらいたいことがあって、それを引き出すために問いをぶつけるんじゃないかと思う。
とは思っても、何を言ってもらいたいのかはわからないだろうな。うっかり期待とは正反対なことを言ってしまって、そのちょっとの揺らぎから自殺なんかされたら後味悪いだろうな、とか思って、……やっぱり「沈黙」。
…………。
「後味悪い」とか言っちゃってる時点で、もうなんかあれなんですけど私……。
では、たんに答えを知りたくて訊くという稀なる人だったら?
そういう人だったら私が言えることなんてないですけど。「死んでもいいけど、死ぬまでは生きててもいいんじゃないの」ぐらい。
「『どうせ死ぬ』のはみんな同じだし、気にしないで?」
……………………。
「死んではいけない」とは言わないけど、いちおう生きるほうに誘導しようとはするっぽい? なんかずれてるような気がしますけど。


(「死ぬまでは生きてる」って、誰かの台詞にあったような気がするんですが。)