死を選択する

ついでなので不老不死の話でもしましょうか(なんのついでだ)。
前に、不老不死の質問について書きましたけど、その回答中で私が提示した設定が人間の寿命がもっと遥かに永くなっていて、それぞれがここまで生きたらもう十分という時点で自ら死を選ぶというものでした。不老不死というより不老長寿ですけど。それについて書きます。
結論からすると、それでもうまくないだろうな、と。人は自らの死を選べないと思う。少なくとも私は選べない。満足して、死んでもいいと思うことなんてないと思う。それは私が、人生の目的とか目標とか夢とかを持ってないからでもありますけど……そういうのを持っている人でも同じではないかな。目標が達成されれば次の目標ができますよね。そもそも、目標とか夢とかいうのがけっこう曖昧なんだと思う。とある職業に就く、というのが目標であったとして、その目標が達成された次には、その分野で成功する、というのがきますよね(こなかったらへんだ)。じゃあ成功ってなんだ? 何をどうしたら成功と呼べるのか? どこまでいったら頂上なのか? 永く生きていればその頂上までいけるのだろうか?
でも、そんな大仰なことではなくてですね……もう一度あそこのラーメンが食べたいとかシュークリームが食べたいとかりんごが食べたいとか……なんで食べ物ばっかり……チューリップが見たいとか雪が見たいとか近所の野良猫に触ろうとして逃げられたいとか、そういう些細な未練のために、人は死を選べないと思うのです。もう一度、もう一度、もう一度……そういう小さなことが、果てなく続く。きりがつけられない。なされなかったからといって、化けて出たいほどのことじゃない。でもわざわざ放棄したくはない。そういうもの。……そうじゃないかな、私だけですかねー……。
この場合での「死を選ぶ」というのはいわゆる自殺とは別です。上では社会とか対人関係とかは無視して書きましたけど、そういう方面も考えるとすると……役所に届けなければならないですね、「これから死にます」って。で、仕事関係でも「死ぬので次はこの後輩にお願いします」とか挨拶まわりして引継ぎをすませて、財産も子どもとか孫とか曾孫とかにわけてしまって、前日には家族で美味しいものを食べて、ゆっくり眠る。当日は家族に見守られるなか、「さよなら」ってやすらかに死ねる薬(役所支給)をのんで、おしまい。そういう「死」、そういう社会。……どうでしょう? どんなに不老で長寿な研究が進んで実現されようと、この世界の延長上にくるとは思えない未来。パラレルワールドですね。何が違ったら、こういう世界になる?