じっと手を見る

昨日のつづき。労働問題とかって、社会問題ですけど、私が社会的なことを書けるわけがないので(興味もないので)個人的に。
私がニートな人々に対して思うのは、「ずるい!」であり「羨ましい!」であり、つまり「私だって働きたくないのに!」である。働きたくないといいますか、本を読んでごろごろしてるほうが幸せなのでそっちを優先したいということです。なんですけど、別に働かずにいようと思えばできるのですよね。実家に帰って親に寄生すれば。けど、自分で稼ぐのと、実家のごくつぶしになるのと、どっちがよりめんどくさいかといえば、後者なんである。まいにちまいにち親にいろいろ言われ、お金だって好きには使えないし、窮屈だ。そもそも人といっしょに暮らすということがめんどくさすぎる。私は物言わぬクマとしかいっしょに住めないのだ。
お節介な説教好きな人の目に止まらずに自分の好きなことをするには、社会的にはふつーにしてるのがいちばんだ。休日に何をしていようと、平日に会社に行っていれば、ふつーな人だと思ってほっといてもらえる……というか、どんな人か、など、気にされない(ほんとうはもうひとつ大きな条件があって、「結婚」ですけど、私はこれはクリアできない……)。
ニートは目立ちすぎる。
私は「ニートはずるい」と思っているので、ニートを目立たせるように、生き難くさせるほうに荷担したいというか、たぶん無言で荷担している。けどさ、自分だって働きたくないんだから、ここでニートのみなさんにふんばってもらって、「労働は尊い」という価値観が揺らいで、「みんながみんな働かなくてもよい社会」になったほうが、ありがたいんだよな。どういう機構の社会だか想像できませんが。でもって、ニートは積極的にそんな社会にするようにがんばったりはしませんが。そんな実践的なことをしてしまったら定義上ニートではない。いわゆる「働く」とは違っても。
あと、同僚にひきこもられるのは困るんですよ。「こっちの仕事を増やしやがって!」。その「こん畜生」って感じを見知らぬニートにも向けちゃうんだな。
……。
というわけで仕事に行ってきますー……。