どこへでも行ける

樫村政則『完全失踪マニュアル』。
買ったときは失踪したかったらしい。とはいってもほんとうに失踪する気でその方法を知りたかったわけではない。実用にするには古い。1994年10月初版発行である。私が買ったのは2005年4月第26刷で、けっこう息が長い。当時と大きく変わったところといえば、「携帯電話」と、「個人情報保護法」、かな。まあ、ほんとうに失踪する気ならネット書店で買わない。
完全自殺マニュアル』とは違って、本気で失踪を推奨、らしいですけど。読んだらますます、べつに失踪しなくていいか、という気が強まった。借金取りから逃れたいとか、ストーカーにつきまとわれて困ってる、とかなら別だけど、いまの人間関係をリセットしたいとか、いまの環境が息苦しいとか、そういうのだったら、わざわざ他人の身分証をのっとったりするような不自由をしなくたっていい(不自由というか、それ犯罪)。他人になりすますにしろ偽名を使うにしろ、失踪生活を持続させる鉄則は、警察のご厄介にならないように、目立たず、いい人を装い、失踪中とは誰にも言わず、もちろん昔の知人にも連絡をとらず、……ということらしく、まあ、そりゃ当たり前なんだけど、つまり他人に心をゆるすな、ということだから、心機一転、ほんとうの自分を見つけてほんとうの友人をつくってほんとうの恋人に出会い、……なーんてことは、ぜんぜん期待してはいけないんですよ。ふつうに転職したり引っ越ししたりを考えたほうがいいようだ。新しい何かを期待するのではなく、いまの何かが嫌なのだ、というのでも、ふつうに転職や引っ越しや離婚やらを考えたほうがけっきょくめんどくさくないんじゃないかなあ。名前を変えなくても、どこへでも行けるし、なんだってできる。
縁を切るのではなく、いながらにして縁を薄く細くする、というのは、期せずして実践中。ぜったいに自分から連絡をとらない、向こうからとってきても半分ぐらいしか返事をしない。べつに縁を細くしたくてそうしてるわけじゃなくて、私はふつうにしてるだけなんだけど。電話きらいだし筆不精だしで、日常的に顔を合わせる環境がなくなるとそれまでどんなに仲良くしてても途端に疎遠になる。だから私は、逃げたくなったら失踪しなくても会社を辞めるだけでいいのだ。とてもかんたん。……もちろん、いつでも逃げられる、と思ってる人間ばっかりじゃ社会がたちゆかないので、こういう人間は少ないはずだ。それを、寂しい、と感じる人が大半だろう。失踪者が見つかるきっかけもやっぱり、自分から連絡をとってしまうケースが多いらしい(戻るつもりがなくても、ちょっとだけ、で連絡をとってしまう)。
ただ、名前の効力、というのがどれほどのものか、それは興味がある。それを知るためには生まれてからこれまでずっと使ってきた名前を替える、という方法が効果的――というか、そうでなければ実感できないだろう。――この名前、それ以外が本名として呼ばれること。名前、それ自体にはたいして意味がない。たしかにつけた人の気持ちがこめられてはいるのだろうけど、基本的にはただの識別子で、ただ、それだけのものだ。……とは、思う、のだけれど。名前を替えても、心の奥底で、ほんとうの名前は別にある、と思い続けてしまう、ような。……どうなんだろう。