憧れと畏れ、渇望と敬遠

斎藤けん花の名前 第3巻 (花とゆめCOMICS)』。
この作品については、3巻が出たら語ろうと思っていて、でもいざ書こうとしたらどう書いたらいいのかわからなくなってしまって、ああこのまんま放置かあ、と思っていたのですけどー。

――正気な俺は
嫉妬と偽善を原動力に 闇に足をつけ
生まれてはじめて
人のこころの闇の深さを見――――

浅はかな言葉が 次から次へと剥がれ落ち
滑るような 暑さのなか
だらだらと 空っぽになっていく俺の前で
生きることの すべてを抱えて 京が踞る様は
…耐え難いほど うつくしく

膝をついて許しを請う姿に
ヤバイくらいの悦を感じて

俺は 俺を 守るため
関わることを 諦めた

このモノローグの、抑揚が耳についてはなれなくなってしまったので、書いてみます(書けばスッキリ効果、を期待)。


両親を突然喪った水島蝶子が、小説家の水島京(けい)の家の居候となり、殺風景だった庭で花を育て、彼を想いながら、うしなったこころを取り戻す話――というわけではなく、彼女が回復した時点から1巻は始まっています。なので、めんっどくさいことにしてるのはだいたい年長の男である小説家のほう。3巻ではとくに、うじうじうじうじしくさって周囲ものきなみ鬱に巻き込んでます、が――
私の認識ではすっかり、3巻のメインは秋山さんなのであった(表紙だし!(←たんに順番です))。
秋山慎一。京の大学時代の友人で、現在は担当編集者。京の大ファンで自称親友。明るくノリのいいムードメーカー。文学知識は膨大。盤上ゲームに強い。まあ、ひとことで言いますと、いい人ですよ……。水島家ふたりがとっても浮世離れしているので、とてもふつうの人、にも見える。その彼が3巻では沈んでいたので、よけいに暗く感じやすいのだろう、最終的に引き上げる原動力にもなっているのでやっぱり「いい人」なのですが――
じつは私は、ほとんど彼の視点で読んでいて、だけど共感も感情移入もそれほどしない、というスタンスだったためか、あまり鬱展開とは感じなかったのでした。うう、冷静に読んでたな。それは私が「いい人」ではないせいだろう。
「いい人」。なんともまあ、揶揄や皮肉が混じるというか、いっそ馬鹿にしているというか、「いい」というのにあんまりよさそうじゃない、女が自分に気のある男に言ってはいけない(男が女に言うのはいいんだろうか)、含みのある、だけど含みもなく使ってもどうなのか、というような、むっずかしいことば。
秋山さんは……、自分がふつうでまともであることを知っていて、だからふつうでないものに憧れる、それが光り輝くものでなく、底なしの闇という狂気であっても。そういうものに憧れてしまうところがまた、ふつうである証になってしまうのだけれど。そして、いざ「そこ」にひきこまれそうになると、逃げてしまうところも。そういうところは、私にもあって、なので私も「ふつうの人」よのう、という気も、しますけど……。逃げてしまうけれど、逃げてしまうものなんだけれど、逃げた自分への失望があって、自分が逃げても闇にとどまりつづける相手が、自分を遠ざけたようにも感じられて憎んだり、憎んでしまう自分にまた失望したり、それでもその狂気は美しく、惹かれ、でも、近づけず、そして近づいていっしょに沈むだけでは駄目なのだという理性があり、だからといって、相手に届く、響かせる、そんなことばが浮かばなくて、情けない、あの身のおきどころのない感覚を、どうするのか、と、ぐるぐるぐるぐる……。……む、む、私はほんとうに秋山さんに感情移入してないんですかね……。けど、秋山さんはきちんと、そういう自分と向き合って、自分を動かして、相手も動かしたのだ。ああ、ほんとうに、いい人なんだ……覚悟のある、いい人。なんといってもえらいのは、そういう自分の悔恨やらなにやらを、蝶子ちゃんにはほとんど見せていない、ということだと思う。大人なんですよ……! 自分をさらけだせばいいってもんじゃないよなあ、これはすごい、誠意というか、親切というのか……。それで自分が気分よくなれるわけでもない、というあたり、ううむ、かっこいいんだよな、外野としては……。


花。
作品中ではほとんど、癒しやあたたかさの象徴として描かれているのですが、私のなかでは狂気のイメージが強い、ので……狂い咲きとか、咲き乱れるとか、いうじゃないですか……、なんともいい感じに不穏な雰囲気をかもしてますね。たぶんこの読みは間違っているのでしょうが。美しい庭には死体が埋まっている、という思い込みがあるんですよ……。天国に咲く花、など思うと、どうも、おそろしい、退廃の気配がある。
が、これはあくまで幻想の花、虚構の花である。
実際、私は花の豊かな家で育ったがゆえに花が視界に入っても意識されないのであった。あーあ。