一片の不満も残さず除かなければ完璧な不満

上の補足、のようなもの。
賢い選択をしたい、というより、間違った選択をしたくない、というおそれのほうが大きいらしいですよ。得をしたいのはもちろんだけど、それよりももっと、損をしたくない。失敗したくない。騙されたくない。1000円の割引、の1000円よりも、1000円の罰金、の1000円のほうが大きく感じる。(っていうようなこと、前に自分でも書いてたよ→より得をするほうを、と考えるのではなく、損をしないほう、で考えるわけですよ。それが無難な選択というもの。「「無比」の価値」)。ぜんぜん、忘れてるし……!)
「最高」の選択を求めてしまうのは、たとえほんのちょっとでも損をしたくないから。
満足したいというよりも、不満を抱えたくない。
と、いうことを求めるあまりに「最高」を望み、そんなものはたいてい得られないので必ず不満をためてしまう……
理に適ってないな。
って、頭でわかっても、……ううむ。ってところなんでしょうか。
私はそのへん、ゆるいので。
前に、本の選び方の質問の答えをみてまわったとき、「なるべくハズレを引かないようにしている人と、そーでもない人がいるみたいだ」と書いたのですけど。自分は後者、と。
一生に読める本の数は限られていますね。このまま健康に長生きしたとしても、私のペースでは、一万冊程度かな。少ないなあ。で、その一万冊は、世に存在する本の上位一万冊でなければゆるせないか、どうか? ……ゆるせないとしたら、そりゃたいへんだ――「マキシマイザー」は、ゆるせない。けど、どうやって判断するんだろう、上位一万冊かどうか? どっかにリストがあるなら、一位から順番に読んでいけばいいけどね。けっきょく、自分が知ってる範囲で判断するんだけど。けど、自分が知ってるものをいちいち思い浮かべて順番つけるなんて、めんどくさいよなあ。
……あああ、めんどくさがりなところがいいほうに転んでるのか、私はー。
それでもときどき、生き急ぎたくなりますよ。世の中にはこんなにいっぱい、私の知らないものがある!ってことに。二十歳前後の頃に、いちばんたくさん小説を読んでました、ジャンルも、いまよりも幅広かったし。
……それが、どこかであきらめた、のかなあ。
現実は、対照実験はできない。まったく同じ条件で選択する機会は、ない。一秒前の自分と、いまの自分は、同じじゃないから。同じ条件なんてあり得ない。もしも、は、ない。もし違う道を選んでいたら、もっといいことになってたはずなのに……なんてことは、わからない。よかったかもしれないし、悪かったかもしれない。それはぜったいに、わからない。絶対、だ。この、ぜったい、わからない、ということを肯定的に捉える、というのも手じゃないだろうか。もしもを考えたって、ぜったいにわからないのだから。わからないんだから、わからないでいいじゃない、と。
前向きにあきらめる。
……どっちが「前」なんだかわからないけど。「あきらめる」というのはたいてい否定的に使われるので、よさげなことばと並べて中和してみました。「あきらめる」のも悪いばっかりじゃない、っていうつもりでもなくて……いやもう、あきらめるっていうのは、あきらめるってことだもんな。ため息を吐かないあきらめはない。けど、ため息だろうが、息は吐ける。
ところで私は税金の無駄遣いとか横領とかのニュースをきいてもさっぱり怒りがわかないので、頭のネジがゆるんでいるというより頭のネジが外れているのではないか。
ところでところで、ひとは、騙されたくない操られたくないと思っているけど、騙されたい操られたいっていう欲求も持っているよね。完全に、完璧に、騙されたい、と。騙されたと気づいたときに傷ついたり怒ったりするのは、それが「完璧」じゃなかったから、――っつーのは、うがった見方かな、やっぱり。
でも、私がミステリ好きなのは、きれいに騙されたいからですよ、名探偵に。それが唯一の真実だと、騙されたい。