「ありふれた人生」なんてない、とは言わないけど、「自分の」人生がありふれるなんてことはぜったいにないので、安心するがいいよ、

と、思ったよ→2060年頃、ありふれた人生を終える恐怖 (+追記)
タイトルのみ。以上。
……ってーのもひどいので、えーと。

「痛いのとかつらいのって自分にしかわからないから
 だから誰かとくらべて我慢しなさいっていうのあたしは好きじゃない」

私も好きじゃない。ので、この記事に対する反応で、贅沢だ、っていうのがいくつかあったけど(現在の境遇がよくて、未来予想の境遇もよかったので)、べつにそんなの贅沢じゃないと思う。境遇は比べられるけど、気持ちは比べられないから。
なんだけど、当の増田君(仮)自身が、比べられないものを比べちゃってる感がある。自分の気持ちは自分にしかわからない。自分がわかる気持ちは自分のしかない(自分でもわかんないことあるけど)。ひとから見てどんな「ありふれた」境遇にあろうとも、自分は特別なんですよ。何をやっても、何を選んでも、自分にとって、自分は特別。ひとから見て「ありふれた人生」であろうと、それをほんとうに体験できるのは、「自分」しかいない。のに、なんだか、外側から自分を見ちゃってるなあ、と、感じた。


いちおうつっこんでおこう。

理想は「気付いたら死んでた」

気づけません
というか青いバラの花束って。ひゃあ。