ものがたりの読み方

知識欲は、私にはないな……。
えーと……
女の子が可愛ければそれでいいのです!
……ぶっちゃけすぎだ。
小説のエピソードをネタにしてあれこれ書くことはよくあるけど、作品そのものの感想を書くことは、あんまり、ないよなあ……と思って探してみたら、大石圭『処刑列車』麻耶雄嵩『神様ゲーム』ぐらいしか、ない……? まんがならもう少し、あるけど……甲斐谷忍『LIAR GAME』斎藤けん『花の名前』青山剛昌『名探偵コナン』アニメ劇場版『時計じかけの摩天楼』)、原作・大場つぐみ/漫画・小畑健『DEATH NOTE』黒丸/原案・夏原武『クロサギ』筑波さくら『ペンギン革命』、…………。
で、こういう感想を見る限りでは、女の子が可愛ければ……というスタンスとは思えない、と思う……。主観的ではあるが、それほど感情的ではない。たいてい、読んでから時間をおいているのです。1週間とか2週間とか5年とか。その間に、どこがおもしろかったのか、考える。読んでいる間には、あんまり頭を使ってません……。使ってないし、まあ、使うもんでもない、とも思う。
読んでいる間は、読むのが楽しければいいのです。それが、「女の子が可愛ければ……」という意味。女の子じゃなくてもいいんだけど、キャラクタの吸引力は強い。可愛いというのはもちろん容姿のことではない、可愛い顔の描写を読んでも、可愛いということがわかるだけで、可愛いと感じるわけではないからだ。それは、小説じゃなくてまんがでも同じ。顔立ちではなく表情。
ジャンル特有のコード、というのは、ミステリに関してはそれなりに心得てますけど、べつに、そういうのを理解したくて理解したわけではない、たんに、読むのが楽しかっただけだ。
読んだ後にいろいろ考え込んでしまうような作品は、おもしろい、というだけでない、ひっかかりが、ある。おもしろいというのは必要条件でさえなくて、というか、つまらないとかえっておもしろい、ということがある。不快さでも不愉快さでも不可解さでも不可思議さでも、いい。『処刑列車』は、読んでいてぜんぜん快感ではなかったですからね。でも、話の割には不快さもそれほどでもなくて、これはいったいなんなんだ、と、ひっかかりのなさがひっかかった。どうして私はそう感じたのか、という……それはむしろ、自分について、知ることだ。そういう、考えたこと、を、書くことが多い。感じたこと、は、それほど書かない。
だから私の場合、長々と書くよりも、こういう話、と、一文であらわしたほうが、どう読んだか、というのは、わかりやすい。
あと、作者のことは気にしないほうだと思います。作品名を書くときには作者名も書きますけど、出版社名やレーベル名と同じ感覚です。作家そのひとを指す場合には、「さん」とか「氏」をつけます(例外もあるけど)。作家のインタビューとかは、それはそれでおもしろいと思うけど、一種のフィクション……のような……半ば、編集者やライターの作品だと思っている……。
ついでに。実話の泣ける話が、きらいだ。おんなじ話でも、フィクションなら泣ける。実話と銘打っていると、泣きたくない。なんだか、「ほんとう」と「うそ」の配分がおかしい気がするから。出来事はほんとうかもしれないけど、気持ちはほんとうかどうかしれないから。