モノを所有すること

「手狭かしら? 私が今住んでいるところに比べたら、充分に広いと思うけれど……」

「貴女は良いわよ、いろいろと持ちものが整理できたわけでしょう? 私だって、捨てたいものが沢山あるわ。捨てて良いのなら、どこにだって住めます」

「そうね」紅子はにっこりと微笑み返す。

 篠塚莉英が言っていることは、厭味ではない。もちろん、紅子も厭味とは思わなかった。こういった会話の内容が厭味に聞こえるとしたら、それは心が貧しい証拠であろう。莉英には、家が広いことも狭いことも、どちらが立派で、どちらが貧しい、という観念がない。ただ単に、持っている道具を収納し、管理する面積が必要なだけだ。

いやいや、捨てたいなら捨てればいいのに、と思うよ。なんで捨てちゃいけないの?
それはそうと、やっぱりふつうは、容積がはじめにあって、それに合わせて道具をしぼる。……かなあ。もっとはじめにあるのは、管理能力かもしれない。が、自分でできなければ人に頼めばいいので、お金でなんとかなる。けれど、今度は雇う人を管理する能力が必要になる。
たとえば。すっごく金持ちで、欲しいと思ったもの、あるとべんりかもしれないと思ったもの、――とにかく目に入るものすべてを買っていくとする。あまりにもたくさんのものを持っているから、自分のものでも遠くにあったりする。あまりにもたくさんのものを持っているから、そのための人もたくさん雇う。いざ使おうとしても、手元に届くまで時間がかかるし、お金もかかるのである。自分のものなのに。どうも所有しているという感じではない。が、それでも所有していると感じるだろうか? 誰のものでもなく、自分のものだ、と。
……どうもこれは、所有権……権利の話になるのかな。あるいは、信用の話。
手元にないってことは、奪われる危険が高くなるということだ。奪われてしまったらそれはもはや、自分のものではない。
奪われたものは自分のものではない。
……と、いうのが、おかしく感じるのは、そのものに対して自分は権利を持つ、と考えているから、だろう。
そして、権利というものはただ、それだけで存在するものではない。権利がある、と信じて、それでなんとかなると思っているというのは、社会を信用している、ということだ。ひいては他人を信用すること。といっても、善意を信じるのとはまったく別のことだ。
この部屋にあるものは、自分のものだって思っている。で、鍵をかけて、守って、出かける。けど、鍵は大家や不動産屋も持っているのだ。が、彼らが勝手に入ったり盗んだりすることはないと決め込んでる。そんなことをしたら制裁が下る社会であり、彼らはそんなリスクをおかさない、と決め込んでいるのだ。持ち家だったら鍵が渡ることはない、こともなくて、鍵屋がいる。それとも自分で鍵をつくりますか。でも窓ガラスを破られるかも。警備会社を頼みますか。地下シェルターをつくりますか。その人たちは信用できる?
……なんか、自分の手のなかにおさまらないものを自分のものだと思っているのって、ずいぶんのんきな考えなのかもしれない。