選ばれる

田辺イエロウ結界師』。
前に、「選ばれる者の物語」と「選ばれぬ者の物語」って話をしましたが、これはあからさまに「選ばれる者の物語」です。で、選ばれた者としての苦悩とかは、ちっとも、描かれない……。主人公の良守は「選ばれた者」なんだけど、その他の「選ばれなかった」人たちを通して、選ばれるということを描いている、ような。
で、選ばれる、っていうのと同じような意味で、愛される、ということばが使われていて、なるほど、と思ったんでした。
なにに愛されるのか?
神に。
……ほんとうに神なのかはまだわからないんだけれど。
良守は、烏森という土地(あるいは、その土地に宿る力、あるいは土地神?)を守る結界師の家系に生まれ(←この時点で、ふつうの人間から見れば「選ばれて」るんだけど)、「方印」という正統継承者の証を生まれつき持っています。生まれつき。で、どういう基準で選ばれてるんだか、わからない。代々必ず正統継承者が出るわけではないし、兄弟ふたりが正統に選ばれていることもあるらしい。正統ではない母の守美子さんや兄の正守も、結界師としての能力は高いし。
その基準のわかんなさが「愛されてる」感じなのかもしれん。
選ばれるっていうのが愛されるのとほぼ同義になるのは、神ならでは、なのかもしれない。人間だったら……愛されるっていうのは選ばれることだけど、選ばれることは愛されることとは限らない……、たぶん。神に、だったら、たとえば生贄に選ばれる、なんて場合でさえ、それは愛されてるってことだろう。それは愛されたくないな。
いま、まんがのほうでは裏会でごたごたやってます。裏会っていうのは、異能者たちの自治機関みたいなもの?で、強い異能を持つ人たちがたくさんいる組織なんだけれど、どんなに強大な力を得ようとも、この人たちは「選ばれなかった」人なんです。正統ではない者、居場所のない者の受け皿としての組織だから。正統の者は、家を継ぎ、役目があるから、力を行使する場を求める必要がない。逆に役目を失ってしまうともろいんだけど、良守にはそういう、役目をそのまま自分の生きる目的とするところもないんだよな……で、なんか、怒られてるんだけど。
裏会のある人物が、良守の力の使い方から「選ばれた者ゆえの傲慢さ」を見てとり、話をして「純粋」と評したりしてるんですが……この「純粋」っていうのも、『「選ばれないということ」の「わからなさ」』に向けられたもののように思える。選ばれなかった者が、選ばれなかったなりに、自ら役目を見出して負っていこうとすることを、まったく理解しないことを評して、「純粋」だと。……ちょっとバカにしているようにも聞こえるが……。