心を無にする

昨日に引き続き、田辺イエロウ結界師』の話。
良守が「心を無にする」修行をしていて、そのための無想部屋がとっても楽しそうなんですけど(?)、心を無にするっていったいなんだ? とな。考えれば考えるほどわかんなくなるんだけど、これは考えてる時点でわかんないものなのか。
心を無くすことではない、らしい。心を静かに何事にもさざめかない状態にするISBN:9784091218940)ことだという。で、なんのための修行かといえば、強い想いによって引き出された力は、想いが歪むことによってまた歪むので、力が想いに引きずられないようにするため、なんだと言う。力は想いとは独立したものなのだと。強く願えば強くなれる、という考え方に私は馴染まないので、これはおもしろいな、と思ったんでした。
無想っていうのがどういう状態なのかというと、「意識が宙に浮いて時間を止めているような感じ」。心が少し自分から離れて… どんなものからも…肉体とか感情とかそれこそ時間とかからも自由になったような…ISBN:9784091220158)。
むー、意識が浮いているのを意識している意識、が、あるよね、これ。心が離れているのを感じている心がある、よね。普段の自分じゃない自分、が、普段の自分の中に隠れている、みたいな。いや、それにしたって自分は自分じゃん、その自分がなにをしてくれるってのさー、って気も……。
わからん。……ちょっと修行してくる。

ただぼーっとしてるだけ、なら、得意なんだけどな! なにかをしようとして、なにも考えない、って、いったい、どういうの……。