実用品かどうかの区別

昨日の椅子の話のつづきというか補足ですが。
そういえば、宮城県の感覚ミュージアムに行ったとき、椅子の展示品があって……森の王様の椅子、だったか(いかにもえらそうな椅子でよろしかったんですけど)、それは、座っちゃダメって書いてあった気がする。それ、美術品だから触っちゃダメなノリなのか、それとも強度に不安があるからなのか……。
ある椅子が芸術品なのかどうかはともかく、実用品かどうかは区別がつかなきゃならん、つまり、PL法(製造物責任法)の対象になるかどうか、なのだよなー、と、気づく。
というか、『美しい椅子がわかる本(SEIBIDO MOOK)』にも、試験法の一部が紹介されてたんだけど……たとえば

座面に60kgのおもりを載せたまま、背を後ろに傾けて前脚を3cm上昇させた後に、前脚を落下させるのを4000回繰り返す試験。

で、これが、「揺さぶりと石抱き」という名前……そういう拷問、昔、なかったでしたっけ……。まあ、そりゃいいんだけど、一読してどういうことかわからず、4000回って!ってびびったんですけど、つまり、こういう姿勢なんですよね。↓

ははあ。
学生のときは、こうやってよくぐらぐらさせてたかもしれん……。で、一日10回やってれば、一年ちょっとで4000回だよなあ、なるほど……。
というわけで、じつのところ、芸術品を名乗るより実用品を名乗るほうが難しいらしい。

 なぜ、製造物責任法で厳格責任が採用されるようになったのでしょうか。これは、製造者と消費者の関係が変化したことを反映しています。かつては、製品の構造が今日に比べて単純で、しかも、売り手と買い手が直接顔を合わせて取引をしていました。当時は、購入する前に製品を確かめて問題があることを見つけられないのは買う側の不注意だとされていたのです。さらに、売り手との契約にもとづいてから購入したのでなければ、製品による損害への補償は受けられないという考え方もありました。しかし、自動車のような製品が現れるようになると事情は変わってきます。買う前に車を分解して問題がないかどうか調べることは現実的ではありません。さらに、自動車は、ディーラーを通して購入するのが普通で、製造者との直接の契約があるわけでもありません。こうして製造者と消費者の関係が変わってきたにもかかわらず、製品によって損害を受けた人が補償を受けるための条件を以前のまま、製造者の過失を証明することにしておくことは、社会的な常識に反しています。そこで製造物に欠陥があれば製造者に製品によって損害を受けた人への法的責任を課す、という厳格責任の考え方が確立されるようになったのです。

椅子は自動車と違って、昔からあるものだし、分解しなけりゃ見えないところなんて、そうそうない、けど、材質の強度とか、力学的な構造とか、そんなんさっぱりわからないので、やはりプロフェッショナルの出番なのだな。
しかし、私がいま、この椅子にぎゅうぎゅう体重かけて座っているのは、そういうプロフェッショナルを信頼しているからではなく、疑うのがめんどうだ、という無知と怠惰によるもので……。信頼されているわけでもないのに責任は負わされてしまう、のだから、なかなか割に合わない職業な気がする(←と、思うのなら意識して信頼すればいいのに(……))。ひとからの尊敬や賞賛と、自分の矜持は別ものだけれど。