中道的に

清水義範もうなつかしい平成の年表』を、図書館で途中まで読んできた、ので、あたまん中が湾岸戦争だったりソ連が解体したりだったりの頃に、戻ってる。
……とはいっても、このへん、キーワードはおぼえてるけど、いったいどういうことだったのか、っていうのは、いまでもわかってなかったりする。

それにしても私は思うのだが、この時の日本の首相が竹下登であったのはまことに幸運なことであった。あの人は少なくともこのことを政治的な意味で、世の中をいずれかの方向へ導くようなふうに利用はしなかった。ただ中道的にきちんと儀式を進行しただけである。竹下首相の最大の功績はこれじゃないかと思うくらいである。まことに彼は日本一の葬儀委員長である。

昭和天皇大喪の礼に関して。
言われてみれば。
ここに分岐点があった(のかもしれない)ってことに、気づいてなかった。だから「中道」というのか。