贔屓と普遍

今回はほんとうに選挙カーがうるさかった……。そんな激戦になってんの? ふだんはほとんどまわってこないのに。
しかし、むかしから不思議に思ってるんだけど、なんでそんなに、「地元」だってのを強調するんだろう? 地元のことしか考えない人が首長や議員になっていいものなのか、って、こどもごころに疑問に思っていた。おとなって、もっと、みんなのことも考えられるもんじゃないのかなあ、と。でも実際のところは、利害が対立するものたち同士の折衝のことを「政治」って呼ぶんだよな。
……不思議に思ってる、といっても、じつのところはわかってるんだけど。たんじゅんに強調したほうが有利だとかいうのもあるんだろうけど、しかしもっとたんじゅんな話、ひとは、贔屓のない人間、徹底して平等を貫くような人間を、むしろ信用せず、忌避するんだと思う。

 家族と倫理を切り離したくなるもう一つの理由を考えてみましょう。基本的に倫理は、すべての人(あるいは生き物)を意味のある違いがない限りは区別せずに等しく扱うことを求めるという意味で、普遍性を志向するものだと言えるでしょう。(中略)これに対して、家族は本質的に「特別扱い」を許すものです。(中略)というわけで、家族と倫理とは対立するように見えますし、ときには実際に対立します。

 しかし、これはことがらの半面にすぎません。むしろ、家族と倫理は互いに支え合う関係にあると考えることもできるからです。どういうことでしょうか。「自分だけでなく他人の利害も考えに入れなさい」ということを言わない倫理上の立場はおそらくありえないでしょう。でも、こういう態度はいったいどこで身につくのでしょうか。自分以外の人間の利害も考慮しようという動機づけはどこで与えられるでしょうか。それは、家族あるいはそれに類するきわめて親しい人々との関係の中ではぐくまれる他はないでしょう。こういう人間関係を味わったことがなければ、道徳的理性のコアにある他者の利害への想像力はなかなか育たないものです。このように、家族(あるいは友人関係についても当てはまると思いますが)という関係は、「えこひいき」的な面がおそらく本質的に含まれるものですが、普遍的でより拡がりのある道徳性を身につけることを促す最初の場でもあるのです。

……渡瀬草一郎空ノ鐘の響く惑星で』の4巻までの悪役が印象的でした。手元にないので記憶で書きますけど。この人はどうやら「祖国」という概念を持っていなかった。「国境」という意識がほとんどなかった。王子として生まれ育ったにも関わらず、そのことを特別と思わず、なんというか、すごく、「平等」なものの考えをする人だったと思う。自分の国が他の国より豊かなことを――他の国をある意味で犠牲にして豊かである(それでも直接的に搾取しているわけではない)ことを、おかしなことだと思っていたようだった。それでやったことといえば、つまるところ、「売国」ってものだった。一見すると国を憎んでいるかのようだったけど、そうじゃなかった。自分を含めて大事なものがなにもなく、それゆえになにか透徹したものの見方をしていた。だけど大事なものがないから、かんたんに毀してしまえる。そういう人。まあ、信用、できません。私にはたいへんおもしろい人だったんですが。でも全12巻(+外伝1巻)中、4巻までの悪役、なのです。察してください……。