きのう、100円ショップで、

女子中学生たちが、

……そこ?
…………うーん、やっぱり、よくよく考えてみても、いじめ行為そのものよりも、そんなことを堂々と、赤の他人が聞いてるようなところで話すことに、ひっかかっている。
橘裕『うちのポチの言うことには』(「LaLaDX」2011年3月号(たぶん))で、中学生の園ちゃんが、「他人を貶めたい人間って大人でも子どもでもある集団になればいるものだし。しかもそれってある意味病気だし」(正確な引用ではない)って言っていたのだった。
……病気の自覚がないってことかー。あるいは、自覚がないからこその病気、なのか。
しかし、彼女たちの態度は、赤の他人が聞いているのにも構わず、というのではなく、赤の他人が聞いているのを意識して、強さを見せつけるようにして話していた、ようにも思うのだ。赤の他人に対して見せつけていたのではなく、話していた仲間同士で。
ちなみに、園ちゃんは続けてこう言った。

「病気だからって我慢してやる必要はないんだけどね」

花村萬月二進法の犬 (カッパ・ノベルス)』で、「差別される側にこそ高い教育が必要だ」(正確な引用ではない)って台詞があって、真意はわからんのだけども、ときどき思い出す。
いわれもなく他人に貶められたとして、でも、それ自体よりも、それがいわれのないものだとわからずに、自分で自分を貶めるようになることこそ不幸だと思う。