語られないこと

前の職場で隣りの席で働いていたおねえさん(いや、四十代半ばで十代後半の子どももおったんだけど、見た目ひとまわり以上若かった)の名前をすでに失念していることに気づいた。そうか、四年弱で忘れるのか私……。けっこういろいろ雑談していたんですが……。
しかし、彼女の話のなかでもっとも印象に残ったのは、語られたことではなく語られなかったことでした。話題は大半が子どものことで、あとは親戚とかテレビとかだったんですが、旦那さんのことが、いっさい、出なかったのでした。旦那の親の話はちょこっと出てたのに。これ、気づいてしまったら、つっこんでいいことやらわるいことやらわからんし、どーなんだ、って思って、他のひとに話してみたら、「じつは存在しない」説を提示されてしまった。
でもたぶん、存在はしていたと思うんですよ、なぜなら離婚経験のある人にいろいろ根掘り葉掘り訊いていたからです……。
で、このことが印象的だったのは、「語られないほどのなにがあるのか」という興味ではなく、なぜ私は「語られていない」ということに気づいたのか、というほうのような気がします。なにしろ私はすごく鈍感なので。ひとの機微にはほんとうに疎いので。ほのめかしもない、まるっきりの欠落に気づくわけがないのだ、本来なら。
そこがわからん。
……いやまあ、あれだけ喋ってたら、ふつうはふつうに気づくことなんですけどね。ふしぎに思うところじゃないんですけどね。
でも、あれだけ喋ってた相手の名前、ふつうは数年で忘れませんからね。