天気予報がほんとうによく当たる

昼前から雨、昼過ぎから激しく降る。
ええ、まあ。
でも、ちょっと晴れてるなあって、洗濯したのですよ。いつも、外に干すのはバスタオルやシーツなどの大物だけなんですけど。
で、降ってきたら取り込もうと思ってて、いつのまにか昼寝してた。そうしたら、降ってた。
慌てて取り込んで、しばらく経ったら止んだので、ちょっとでも乾けば、と思ってまた干す。
と、また降ってきた。今度は起きてたけど、いきなり激しく降ってきたので被害は同等。洗い直しかな、これは……。

むかしは天気予報って、こんなに細かいことまで言わなかったと記憶しているのですが。そしてそんなに当たるものでもなかったような……。
世代によって、天気予報に対する態度って、違うんじゃないかと思う。
ああ、でも、今年だったか、冬に、大雪の予報を出して、たいしたことがなかったときに、怒ってた人がいたような。たいしたことなかったんだからいいじゃん、って思った。その前に、予報が出てなかったけど大雪になっちゃったときは、怒りたくなるのもわかるかな、ってもんですが。それでも、気持ちはわかるけど、正当ではないかな、と。
これだけ当たるのが当たり前になっちゃうと、まるで気象庁が雨を降らせたり降らせなかったりしているように思えちゃうけど、そうじゃないから。未来のことは、わからないから。過去の例と理論と現在の観測結果から得られる予想であって、とうぜん、絶対ではない。なので、外れたところで、気象庁の「過失」とはいえないと思っている。
問題は運用なんじゃないかな。予報の精度はまだ上がる余地があるんだろうけど、それでも外れることはある、ということを含んだ運用。
……そこで、外れることを願って洗濯物を干すのも、どうなのか、どうなのだ……。

むかしむかし、「未来予知」というのは、天気予報のことだったんじゃないかと、想像している。どこの部族が攻めてくるとか、株価の上下(……)とか、下界の営みのことなんかよりも先に、天のことじゃないかな。人間にはどうにもならんことだから、せめて未来を知りたかったんじゃないか。