知っていることと理解していること

この世には胃潰瘍という病気があることを知っている、
というのと、
じぶんが胃潰瘍に罹りうるということを知っている、
というのは、ぜんぜんべつのことなんです。
なんだか新しい扉が開かれてしまったよ。知らなくてもいいことを知ってしまった。というわけでもないんですが。
あえてあんまり考えないようにしてたんだけど、これでけっこう、落ち込んでいたのかもしれません、私。いままで、病気らしい病気をしたことがなかったので。病院に通うといったら、眼医者か歯医者しかなくて。なんでも気合いでなんとかなると思ってたっぽい。
でも、これからは、ちょっとおなか痛くなるたびに、びくっとするんだ……また胃を痛めたかとびびり、でも病院にいって胃カメラのみましょうって言われるのもいやだと後回しにして悪化したりなんかして、悪化する前に悪化することを予想してストレスでほんとうに悪化して、っていうのを予想して、って感じでぐるぐると考えてしまう人生が開幕しました。あーうー。
痛みというものは、無視できない。
痛みそのものは忘れられるけれど、痛みの記憶は心の痛みになる。
しかし、それでも、じぶんがいつか死ぬものである、ということは、いまだに理解できない。
死ぬほど痛いというほどでもなかった、というのもあるけど、「死ぬほど痛い」のと「死ぬ」のとは、それはそれでぜんぜんべつなんだろう、たぶん。いつになったら、なにを経験したら、じぶんが死ぬことを理解するんだろう。経験の問題なんだろうか?