健康診断は無事終わった


まあそれはさておき。
レントゲンを撮ると、史上初めてじぶんの骨を透かし見てしまったヴィルヘルム・レントゲン夫妻の恐慌をおもいおこす。

だが、彼が金属の塊を拾い上げた時に、実に恐ろしい、まったくもって黒魔術のような瞬間がやってきた――自分の手の骨が見えたのだ。この時レントゲンは幻覚の可能性を捨てた。自分が完全に狂ったと思ったのだった。
サム・キーン『スプーンと元素周期表』(ISBN:9784150504472

自分が気が狂ったのではないかと恐れたヴィルヘルムは、バリウムが塗られたプレートに写った妻の手の骨が妻にも見えたことに安堵した。夫より自信家だった彼女はこれを死の前触れだと思った。
サム・キーン『スプーンと元素周期表』(ISBN:9784150504472

「で、先生はどう考えられましたか」
「考えませんでした。調べました。その作用は管から来ているにちがいないと想定しました。その特徴は、他のどこからも出て来られないことを示していたからです。試してみました。何分か後にはその点については何の疑いもありませんでした。紙に発光作用を及ぼした線は管から出ていました。距離を大きくしても、2メートル離してもそうなりました。まずは目に見えない新種の光のようでした。明らかに新しい、記録されていないことでした」
「光なんですか」
「違います」
「電気ですか」
「知られている形のものではありません」
「何なんですか」
「わかりません」
 X線を発見した本人は、このように、これまでこの現象について書いている他の誰とも同じように、その正体を知らないと、穏やかに述べた。
(《マクルーア》誌,no.5,April,1896)

ジョセフ・メイザー『フロックの確率』(ISBN:9784822285494

なにかを発見するとき、理論から予想できるものを発見しようとして見つけるときと、まったくの偶然で、なにかわからないけれどなにか新しいらしいものを見つけてしまうときがあるらしいですが、これは後者の典型例。それがなにかがわからなかったのだから、恐れて当然だ、とはわかるものの、その恐怖をほんとうに想像することは難しい。というか、なにかわからない、ということでいえば、私だって彼らと同じなわけで。理解してません……。でも、それはそういうもの、とのみこんでしまっているので、のみこんでいるものをわざわざはきだして疑問に思うのが難しい。私が知らなくてもだれかは知ってるし。じぶんの手の骨を透かし見ても死なないって、知ってるし。だれかの経験と知識の上で、私は生きている。
新しいもの、というのは、本来、こわいものなのだ。