「理不尽な死」だと感じられるのは

  1. 不老不死の技術が全人類に適用された場合、人の精神や社会はどのように変化していくか科学的な考察をして頂けないでしょうか。
  2. 「完璧な不老不死」になったときに人は、明らかに不幸になると証明してください。
  3. 質問文を考えるための質問です。

これらは同じ方の質問で、私は2番目のに回答しました(18番)。3番目のはチェックはしてましたが回答はしませんでした。その後はhazel_plutoさんははてなでは質問してないので、この悩みがどうなったのかはわかりません。でも私がなんとなーく気になったままなので、ここで書いてすっきりしてしまおうと思います。


はじめは、やりたいことがあるから死ぬのは嫌だ、という話かと思いました。「死」という終わりが必ずやってくることに納得がいかない、けれどいつか死ぬときがくることは確定している、だからせめて、「死」という終わりがあることが理に適っているのだと、「死なない」ことは不幸なのだと、理解はしておきたい、ということかと。
が、そうではなく、何も悪いことをしていないのに、落ち度がないのに、突然災厄が降りかかってきて、大切な人を失うかもしれないこと、自分の命が絶たれてしまうかもしれないことが、こわい、ということだったらしい……というか、質問を通じて「死」そのものは仕方がないとわかったけれど、それでもなお納得しがたい部分は残った、というほうが近いのかもしれません。読んだ限りではそんな感じがしました。あと、「災厄」と書きましたけど、より正確には、「災厄」などと大仰にいえないようなくだらないこと……くだらない、というのもなんだかなーですけど、「些細な悪意」というか、「ちょっとした過失」というか、そんな感じのものかと思います。


そういうわけで、3番目の質問は、

周りの人達の理不尽な「死」の克服方法について考えたいのですが、ケースバイケースの回答しかないような気がします。
100人の死があったら最低でも100個以上の回答が必要になってしまいますので、質問しても意味が無い気もしますが、最大公約的な回答も得られのではないかと思います。

ということになったのだと思います。
なんですけど、私は、この質問もちょっと違うのではないかなーと思ったのです。もしも大切な人を「理不尽」に失ったらどう立ち直ったらいいか、ではなく、今現在大切な人を「理不尽」に失うかもしれない恐怖、というものが問題であろうから。もっといえば、自分が今にも死んでしまうかもしれない恐怖なのではないかと思ったのです。もしも大切な人を失ったらどうするか、を考えるのも、アプローチとしてはありだろうけれど、本質ではないな、と。……自分が死んだらどうするか、を考えるのは意味がないですが。
ということを考えつつ、なぜそう回答しなかったかといえば……遠慮?ではないですが……昨日書いたように、私自身はこういうことを考えていても、悩んではいないのです。でもって、身近な人の死を克服する方法云々、ということになると私の興味の範疇外になるので、違うとこに誘導したい、という気もないではない、ということも自覚していました。この手の質問って、見てる分にはおもしろいですけど自分でやるにはめんどくさそうなので、質問してくれる人は歓迎なのです。なんですけど、そんなので、悩んでない人が悩んでいる人を利用しちゃっていいもんだろうかと……というか、ぶっちゃけると、利用するのもけっきょく私がめんどうではないかな、と思って、いちおうそこでは発言しなかったのです。ここで書いているので同じのような気もしますが、黙ってるのもめんどうになった……。長い言い訳。
もうちょっと真っ当な言い訳をしますと、そもそも私は「理不尽な死」というものがわからないのです。けれど、それを語ったりするのはこの質問の趣旨に合わないし、語り合うにははてな人力検索のシステムは適していない、というのがありました。
どっちにしても、あれです、ちょっとめんどくさかっただけですが。


久々にまじめな語調で書いたのでちょっと疲れた(……まじめっぽいのは語調だけ?)。タイトルの本題に入ってないが、残りは明日。