「信じている人」を観察する人

4年ほど前に某新興宗教に誘われて集会みたいのに行ったことがあります。
誘ってきたのは当時隣りに住んでいた20代前半の女性で、ほいほいついていったのは断れなかったとかつきあいとかではなく、単純に興味があったから。新興宗教と、それを信じている人に。で、その集会はどんなもんであったかというと……ええっと……儲かってそうでした(よくおぼえてないー(私は何も買わされてませんよ))。
その後も折にふれて誘われましたけど、行くのは断りました。話はまあまあ聞きましたけど。
しつこい勧誘ではなかったですよ。「迷惑だったら言ってね」とも言われたし、別に迷惑ってほどでもないし、ほっといてた。というか、私は彼女の話の大半を聞き流していたような気がしますけど。なんというか、彼女は……親切で、人とのつながりを大事にしていて、恋話とかテレビドラマの話とかが好きで、つらいことがあっても明るくふるまおうとするけれどちょっと愚痴も言ったりして、たぶん将来の夢はお嫁さんだろう、という、そういうふつうの女の子で、つまり善人でした。清く正しく生きようとしていたし、信じることはよいことだと思っているみたいでした。そして、幸せになるのが苦手な人でした。と、私は見ていました。
それで、特定の、はっきりと導くという意思を持った宗教が、必要なんだろうな、と。
私は何度か「自分には悩みはないよ」と言ったのでしたが、わかってないみたいでした。何か言えない悩みがあるんだろうって思われてたフシがありました。私は異文化交流のつもりでいたのですが、彼女は私のことも「ふつうの人」だと思っていたようで、それでやっぱり私は彼女のことが苦手だったのですけど……。まあ、私のほうもそんなに、自分のことを話さなかったですしねー、でも、たいていの人は私のことを「ちょっとへんな人、よくわからん人」だと思うようなので、その意味では彼女は変わっていたのでしょう……(私はそんなに「ふつうの人」に擬態してません。「無害な人」は装ってますが)。
いま、彼女がどこでどうしているかは知りません。その宗教が彼女を救い得るものであり続けているのかどうかも、わかりません。……幸せになるのが得意になったりはしてないだろうな、と思いますけど――ちょっとは楽に生きられるようになってくれたらいいな、とは思います、そのほうが想像する私も楽なので――…。