はったりの宗教

昨日、一昨日の宗教話は、みちアキさんのとこの「小さな電子の神」「お守りアプリ話の続き」を読んでいろいろ考えたので、書いたのでした(ひとんちのコメント欄で何を企んでおるのか、とゆー書き込みをしていたりするのですが)。
しかし、宗教にとって教義なんてもんはどーでもいいような気がしてきた。昨日一昨日に私がそれらにふみこまなかったのは、「知らない」ので避けただけなんですけど。でも、小さい頃の刷り込みと、はったりですよね、つまり。教義にこだわるのは聖職者だけでいいのではないですか。とか言っちゃダメなのか……?

……。
ダメっぽい。いや、刷り込みはその通りだけど、はったりは違う、と書いてある(意訳)。

宗教は人の行動について言う言葉ではなく、概念について言う言葉である。

宗教は形式ではない、――かもしれないけど、形式は存在する。形式は形式として人は必要としているのではないか? なぜお守りには「効き目」があるのか? 形式に意味がないとしたらお守りに「効き目」などない。ただ、あのコラムではそういうところを「宗教」に含めてないだけかもしれない、とは思う。でも、私はそのへんのこと、「それらしい」と感じることについて語ろうとしているのですがー……。


まだつづく……?
(考えがまとまってないから小出しになっちゃってるのです、すみません。)