鳥はなぜ飛ぶのか

……これ、どこまで通じるんだろう(汗とのことですので、反応してみます。

後半は、わかるような気がします。前半は、たぶんわかってません。
……。
それじゃわかってるのかわかってないのかわからない……。


だからぼくがイメージする世界は、セル・オートマトンと言っても自己組織的な感じ。つまり全セルの状態をコンピュータが並列的に演算して次の状態が決定される、というのではなく、オブジェクト指向っぽく、各セルが周囲の状態を評価して自らの状態を勝手に変化させる、という感じ。この世界はそうやって成ってるんじゃないの?というのが、ぼくの世界論の最新型です(なんじゃそりゃ)。

鳥の群れが飛んでいるグラフィックを描くのに、全体を見て形をととのえようとするのではなく、それぞれの鳥の視点から近くの鳥との距離が均等になるよう計算すると、きれいに群れをなしているように描くことができるのだ、と聞いたことがあります。そういうことかな、と思いました。それぞれの鳥は、外から見た形など考えてなくて、近くしか見ていない、けれど、結果的には誰かが指揮しているかのように統制がとれた形となる。
ただ、このプログラムは、たしか、先頭の鳥はマウスでみゅーんと動かすようになっていたのでした。そこまで含めて考えると、それはぜんぜん別に話になってしまう……はず……そんな操り手はこの世界にはない……よ、な?(神様?)
法則があるように見えるだけだ、というのは、なんとなく、わかります。そうやって観察されているだけなのだと。けど、そういう見せかけの法則と、内なるルールとの、本質的な違いは、とか考えたら、なんかわからなくなってきた……。そのルールは、どこからきたのだろう、どこにあるのだろう、と。それはもうそれ以上追及できないことで、「ただ、在るのだ」、と納得すればいいことなのか……「鳥はなぜ飛ぶのか」を問うようなことになっちゃうのか……どうも「操り手」が頭ん中に残っちゃってるっぽい。


前半は、なんとなーくイメージはわくのですけど、「矛盾」というのがわかんないです。