虚飾の食卓

さて、「文を短くする」を実践してみよう。

お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。

回答

  • 残り物には福がある
    • ように見える
      • ようにすることもできる。

……違います
ちなみに「一文を短くせよ」との課題なので、全体の文字数は増えていい(むしろたいていは増える)のですけど、ネタじゃなく素で誤解している人もいるような。
というか、何度も読み返しているうちに、こう、「おいしくはない」ってところが身にしみてきたっつーか、せつないような、むなしいような気分になりましたよ私は。贅沢なご馳走に見えても、おいしくないんだよ! いや、おいしくないけどご馳走みたいにできるよー、というポジティブな文なのですが、そのポジティブさがこわい。だってこの人、自分でこれはおいしくないって知ってるのに、ご馳走に見えるんだからそれでいいやーって頭で人に出すんですよ。相手は礼儀上(なのか?)、苦情を言わないって承知していて、さもこれはご馳走なんですよって顔して供するんですよ。残り物なわけないですって振りしながら、でも残り物だって察せられてもかまわないんですよ。料理下手だけど貧乏だけどせめて見た目だけでもっていうのではない。ただ、ほんとうに、見た目だけよければそれでいいのだ。そして、相手もまた、見た目だけを取り繕うのだろう。……そりゃ、たしかに、おいしくないよな……。
ごはんはおいしいのがいいよ!
(この文章からだけでは客に出すものなのかどうかわからないのですが。出典が太宰治の「女生徒」だというのは聞いてますけど読んでません。前後を引用してたとこがあったので、それだけ読みました。)