価値がないなどということはあり得ない

梅田望夫ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』を読みまして、次の文章を思い出した。

 (前略)「どんなものでも九十パーセントはクズである」という、SFファンには有名なスタージョンの法則というやつがある。この法則が正しいとして、ネットサーフィンをしてみたAさんが(中略)クズだと言っている九十パーセントのページは、Bさんのそれとは一致していないはずなのだ。それどころか、Aさんが価値ある十パーセントに入れているページを、Bさんはクズだと思っているかもしれないわけである。WWWとはそういう特質を持った媒体なのだ。一般論で語ったときに取りこぼしてしまう部分にこそ、WWWの最大の力が隠れている(中略)たいへん逆説的ながら、ほんの一部の人にしか役に立たない情報、ほんの一部の人しか面白いと思わない情報が流せるのが、WWWの重要な媒体特性のひとつである。(中略)それらは、一般的にはホワイト・ノイズである点に於いて等価なのだ。ホワイト・ノイズの中から意味を汲み出す個別の利用者を想定したとき、はじめて個別に価値が生じるのである。よって、あなたが発信する、発信できる情報に価値がないなどということはあり得ない。ただし、そこには多数決原理は働くし、ネット外の世界でのさまざまな自由や制限も同様に働く。だが、ほんの二、三人しか見てくれなくとも、あなたの目的が達成できれば、それはあなたやあなたのページの利用者にとっては“価値あるページ”だ。

 そういう意味で、どんなに“一般的に”くだらないと言われそうなページでも、量が増えるに越したことはない。その情報の海の中で溺れないための努力は、情報の発信者ではなく利用者に求められているのだという至極当然の認識を広めるためにも、もっともっと増えたほうがいい。(中略)情報というのは、おれたちが使うものであって、使わせられるものではないのだ。

あなたが発信する、発信できる情報に価値がないなどということはあり得ないって、いいことばだ。価値を感じてくれる人とちゃんと出会えるかどうかは別問題なんですけどね……。
で、ここで一般論で語ったときに取りこぼしてしまう部分といっているのが、「ロングテール」ってやつなのですね、たぶん。
ウェブ進化論』では、そういうのを取りこぼさずにすくいあげて、価値を感じてくれる誰かにとどく、そういう時代がきます、と書いてあるように私には読めました。「そういう時代がきています」、では、たぶん、ない……。「みんな」にとって価値のあるものはそれほど埋もれてないだろうけど、ほんの少数にとって価値のあるもの、は、けっこう埋もれているんじゃないかな……。
ところで上に引用した文章を私が見つけたのは2004年8月28日、他のとこで「スタージョンの法則」が出てたのでどういう意味だって調べてた(SFファンじゃないから)だけだったのですけど、よい文章だーと思ってメモしておいたのでした、シオドア・スタージョンの本は一冊どっかに読まずに埋もれているはずなんだけどどこだろう……。そしてスタージョンの法則に従えばこの日記も90パーセントの人がクズだと思うだろう、というかもっと多くの人がクズだと思うだろうけど、私には価値があるし、他にも数人ぐらいは価値があると思ってくれてる人がいると思うし、まだここを見つけてないけどもし見つけたら価値があると思ってくれる人もいるかもしれなくて、そう思うとすっごく価値があるような気がしてきましたよ……うーん、すごいな……(何が)。


と、いう読みどころはじつはけっこうずれている(ずれてるっていうか、一部でしかない)。けど、商売の話(←「ビジネス」って言え)は私にはまるっきり関係ないし興味ないし。どこがどう儲けようがどうでもいい。日本の産業としてどうなるのか、とかも、……すっごく遠い話ですよー……。そういうわけで、自分にとってどうなのか、で考えてすくい取って、そういうことになったのでした。


さて、こういう世界がある一方で、私の周囲には携帯電話に番号を登録することすらできない人、というのもけっこう多数おりまして、そして「メール送ったよ」という連絡が電話でくるような環境にいるわけです。なんだろうこのギャップは……。
で、ユビキタス社会な未来像の一方で、格差社会な未来像があるわけです。私のなかではこのふたつの未来像が結びついてない……。