ベイリー君について・その1

心をもつ人工知能ベイリー君については、以前にも言及したり回答したりしてますが。

人工知能に関する研究は今でも進められているでしょうけど、一方でその社会的な影響については殆ど論じられていないように思います。
確かに人工知能が実現するのはまだ相当先であるかも知れませんが、これは暗黙のうちに(穿った見方をすれば意図的に)、人間はまさに合法的な“奴隷”を作り出そうとしているってことなのではないでしょうか。

まるで「洗濯機は合法的な奴隷です」と言われたかのようなみょうな気分。
とりあえず「合法」かどうかっていうのはたいした問題ではない。法律はあとからついてくるので、それが「悪いこと」であるという合意が得られれば禁止する法律はできるだろう。まだないものについての法律がないのは当然だ(「ない」のは、「心のある」人工知能のこと)。

このように世界を構造化させた大西洋奴隷貿易はまた、肌の色を口実とする分業体制と徹底した人種主義をももたらした。はじめに人種主義があって、黒人の奴隷貿易奴隷制度が成立したのではない。世界的分業体制の確立の過程で不可欠となった不自由労働力を提供するために、黒人差別が成立したのである。

心をもつ人工知能ができたとき、どういう扱いをするかは、そのとき社会にどれだけの余裕があるかによるのではないか、と。
けど、心をもたなくても十分働くべんりな機械がたくさんあるなか、わざわざ心をもつ機械を奴隷として使う、というのは、かえってめんどくさい気もします。心があるってことは、反抗するってことでしょう。そういうめんどくささを乗り越えてでも、もっとべんりになりたい? っていうか、めんどくささが残るってことはすなわち、人間にも仕事があるってことだな。仕事がなくなることを心配する人もいるみたいなので、よかったですね(いいのか)。個人的には、仕事をしなくてすむならそのほうがいいと思うけど。みんなに仕事がなくなるならば、「働かざる者食うべからず」なんて格言もなくなるのでは。それとも、一部の仕事をする人との間で貧富の差がでる? でも、そうやって差をつけられるのがいやな人は、働くのでしょうね。ごくろうだなあ(のんき)。