選別

才能、と呼んでいるものにも種類がある。

  • 技術の習熟がはやい。
  • 魅力がある。

凡人が天才をいいなあと思うのは、魅せられるというのもあるが、苦労してなさそうで羨ましいというのもある。不公平だという不満もあり、妬みもあったりする。
が、このふたつの才能は同時に備わるものか? 違うよな。
才能があるかどうかは、生まれついて決まっているものか?という疑問もある。……もちろん、人は不平等に生まれる。個性というのは、ひとりひとりがみな違った身体をもっていることからかたちづくられる、というのは、前に書いた(というか引用した(ただし、それがモノをいうのは技術に熟達してからだ、という話でもあった))。才能は、身体に備わる。みんな違う、という点で、みんな同じだ。それが不平等に感じられるのは、いまのこの世で生きるのに有利になる性質と、とくになんでもない性質と、不利になる性質があるからだろう。


「才能」で日記内検索をしてみたけど、あんまり使ってないことばなんだな。
花村萬月のおことばが出てきたので、久しぶりに「花村萬月公式ホームページ ブビヲの部屋」を見てみたならば。

 適性がないにもかかわらず、頑張っている人を前にすると、正直なところ痛々しくてたまりません。速い人は特別な努力をしなくても、速い。この現実の前には、すべての慰めの言葉も虚しい。しがみつくのもいいけれど、見切りをつけるのも大切なことです。もちろん、すべては、あなたの自由、なのですが(自由とはなんと残酷な言葉でしょうか)。

……膝かっくん、だ。へにゃへにゃ。

 私は無責任に、あなたも小説家になれる、などと煽るのがいやなのです。ちなみに、私自身も三年間、執筆して、執筆で食えなければ次の仕事を探すと決めて書きまくりました。

特別な才能を要する職業かどうか、を区別するには、その仕事の成果に「名前」が冠されるかどうかを考えればだいたい合ってると思う。誰でも小説家になれるような時代がきたら、小説に作者名などしるされなくなるだろう。……それはそれでおもしろそうな気もしてきた……。
「名前」が冠される職業に就く人は、常に少数だ。人が識別できる「名前」の数には限りがあるから。みんなが「名前」を主張し始めたら、どんな「名前」も「無名」と同じことになる。