すでに通った道?

「オリジナリティだとかにこだわる必要はないよ、小野寺君」
 高校生をロシア料理店に引きずり込み、白昼堂々ウォトカのグラスをカパカパ干しながら須賀沼は言った。

「どれもこれも、それ自体ではなんの意味も持たない。それにだよ、独創的なアイデアとかいうものは大抵無知と無自覚の産物に過ぎない。以前から使われていることを知らないか、あまりにもつまらないので誰も使っていないかのどちらかだ。それよりは色々な本を読んだり、映画を観たり……ともかくあれこれと情報を入れて、自分好みのパターンを見つけ出したほうがいい」
「でも、それはパクリ……」
「汚らわしい思考停止言語を使うものではない、若人よ」須賀沼は吠えた。目が冷たかった。若い頃は海軍士官で、北太平洋に配属された駆逐艦に乗り組んでいたと以前に教えられたことを剛士はおもいだした。

「学習の結果として得た知識を自分で解釈しなおすのは建設的な行為だ。そしてそれができる人間のことを教養人と称する。ちなみに、世間一般では教養人という人種は尊敬の対象になっている」

 パクリ上等、と言っておきながら、けっこうびみょうなところだと思うんだけど……。世間一般、というところで尊敬の対象になったところでどうしようもない、というか、世間一般、なんてものを見てしまったら負けだよおたくとしちゃあ!……という気もするんですけど、しかし自分だけが特別だ、なんて思ってたら人に伝わるものはつくれない、たぶん。世間一般が自分をどう見るのか、という部分だけを括弧に入れとけばいいのだ。……たぶん。しかし、前例があろうと、似たようなものがすでにあろうと、自分のつくるものはおもしろい、という自信、って、たんに他に同じものがないだろうから、唯一だから、という自信よりも難しいと思います。いちばん、ではなく、ただひとつ、というのが最近の風潮のようですけど……この風潮も遠からず変わるんでしょうか、検索すれば同じよーなものなんていくらでも見つかる。どっちが先かとか誰が盗んだとかいう争いをひとしきりしなきゃなんないでしょうか、それまでに。いや、そういうことはすでにいろいろあるんだろうけど。ただ、そういう争いって、ものをつくることが自分のアイデンティティだから、ってののほかに、人を貶めたいとか、たんなる中傷も混じることがあるだろう。ただ観る側の人間としてみれば、誰がつくったものだろうがどーでもいいんですが。作者の名前で読むか読まないか決めたりするじゃん、と言われそうですけど、ほかにないものだから、と言えるのかどうか……ああ、なんかわかんなくなってきた……区別を、つけていることはつけているんですよね。何冊か読めば、この人はこういうテイスト、という先入観ができる(読んだ後なんだから、先入観って言わない?)し、当然読む前にはそういう期待をする(このへんが「先入観」か)。で、それが「オリジナリティ」というものなのか、というと……そうやって私が判断できる、読み取っているものって、しょせん私というフィルタがかかっているものでしかなくて。ほんとうの「オリジナリティ」というものがあるとして、それが万人に理解できる、わかる、なんてことはあり得ない。……いやだから、世間一般の話にしちゃっても仕方がないんだって。私がつまらないと思ったものは、私がその作品の「オリジナリティ」がわからなかっただけかもしれない。……とは、正直思わなくて、思いたくないだけかもしれないんだけど、すごいものを読んだ!というとき、前例があったとして、パクリだったとして、それでも読んだときの「すごい!」はほんものでしょ、ってこれは読み手側の無知の問題か……それにしたってすべてのものを「知る」ことはできないし、もしも生まれて初めて感動したものがあって、それなのに他人に「これはパクリだよニセモノだよいけないんだよ」とか言われて否定されてしまったら嫌だし、なんか違うと思う……その場合、いけないんだ、と思い込まされるのでなく、何がいけないのかと考え込めればいいのですが。……話、逸らしましたねー、私がつまらないと思うものは、その作品の「オリジナリティ」があまりにもオリジナルで、独自で、新しくて、私に理解できないからつまらないと感じるだけなんじゃないかって可能性は。しかしそうすると、おもしろいと感じるのは理解できるからだ、ということになってしまい。なんとなく違う……。というか矛盾してない? 「オリジナリティ」を理解するためには、すでに似たようなものをいくつか知っていて理解している、というのが前提になってしまうような。似たようなもので学習して学習して、それでやっと「おもしろい」になる、というのは、なんか……はじめっから「おもしろい」、ってことはないのか。私がいちばんはじめに感じた「おもしろい」はなんだったんだろう。……いや、たぶんこれは、「オリジナリティ」と「おもしろさ」をつなげてしまうことがそもそも間違いなんだよ……た、たぶん……。とりあえず、自分好みのパターンというのは、見つけ出すのではなくつくられていくものなのかもしれない……好みって、なんだろう……。

最近考えてたこと、すでに考えてたんじゃないの……?という。2005年7月29日の文章である。発掘してしまった。
しかし我ながらけっこう意味不明なとこも。
この頃は自分のこと(偏狭な)おたくだと思ってたんだな……。