意味があることにどんな意味があるのか?

京極夏彦塗仏の宴 宴の始末 (講談社ノベルス)』。うろおぼえ。

おかしいなあ、テレビ見ないのに!(違)
ところで、この世には3秒ルールというのがあるのですよ。
質問します、

  • あなたは何のために生きていますか、あなた自身の命より大事なものは何ですか?

1、
2、
3、
3秒以内で答えられない人は、タイムマネジメントとかシンプルライフとかライフハックとか、無駄なくし運動を追求しすぎてはいけない、というルールです(ルールか?)。
「ほんとうに必要なもの」と「そうじゃないもの」の区別がつけられないので。区別つかないのに、これは無駄とかこれも要らないかも、とか切り捨ててると、軽くなりすぎちゃって、ふわふわと浮いていっちゃうんですよ。つなぎとめるものがないから。で、何が要らないっていえば自分が要らないし、何が無駄といったら生きることが無駄だ……!という気分になっちゃうからね、ほどほどに。
答えられた人はいいんですよ、答えられた人は。3秒です。突出して、だから。手持ちの中でいちばん、じゃなくて。
で。そもそも読者対象じゃないコラムを読んでしまったようなんだけど。けど。

時間を使うというのは、イコール投資と見ることもできます。つまり、今やっていることは、何かのリターンを求めているはずで、それが達成できるのであれば意味のある時間、そうでなければ無意味な時間だと言えます。
もしビールを飲みながらテレビを見ていても、1日の疲れとストレスを解消する時間だ、と意味づけすることができれば、それは自分にとって必要な投資の時間です。でも、何もやることがないからただテレビを見ているというのは、時間の浪費になります。

そういう考え方は嫌だなあ、と思った。意味があることにどんな意味がある?ってつっこみたくなったのです。というか、怠ける、が、求めるリターンだったら、どうなんだ……。
ときどき、それはたぶん「価値がない」と言いたいんだろう、という文脈で「意味がない」って言う人がいますけど。これはどうなんだろう。
まあ、時間の価値というのは、難しい。その価値を、いつはかるのか、によって、変わる。楽しい時間は、その時点で価値が高い。けれど、その時間でやるべき宿題をやらなかった、となると、後で振り返って価値が下がる(べつに価値を下げることはないと思うけど、まあ、一般的に)。つらい時間は、価値が低いけど、それを教訓にするとか活かせば、価値が上がる。まあ、なんですか、塞翁が馬というか、糾える縄の如しというか(違う)。けど、順当に生きて死ぬ時点から見て最高の価値になるように、って「設計」するような考え方は、やっぱり好きじゃない。前にも同じこと書いてるけど。