せめて自分のことぐらいは

自分はこう思った、どう感じた、というのを、書くか、どうか?という話。
私は書いてるほうだと思います。むしろ書くようにしている。書かないほうが客観的な意見ぽく見えて説得力があるんじゃないか?ってときでも書く。それでも、抑制してるなあ、と自分で思うこともありますが。
けど、オフラインではまず言わない。趣味は読書、と言うので、話の流れとしてどんな本を読む?って訊かれますけど、それさえあんまり答えたくない。
ひとつには、口を使って表現すること自体が苦手なのです、作文を書くのはいいけど、それを読まされるのはすっごく嫌だった。
けれどそれより、読む人が不特定多数だからこそ、表明できる、というのが大きい気がします。
知らない人なんですよね、私にとっての読者も、読者にとっての私も。
なので、自分を語ってみせたとしても、それは、私はこういう人間である、って表明というよりも、こういう人間がいる、ってことだけ、になるような。ワンクッションおいてる。いくら自分の気持ちを書いても、その書いた結果の文章と、自分自身が、それほど密接に結びついていない。過去記事が恥ずかしくなる(こともある)ので、はっきり分離しているわけでもないけど。
……なんだけど、継続して書いてて、継続して読む人がいれば、どういう人、っていうイメージはできますよね。たとえ自分を語らない人だろうと、この人は語らない人だ、っていうイメージはできる。……私自身もそういう風に、どんな人、って、人に見られてる、かも、ってことが、最初の数ヶ月は、まったく、念頭になかったのですよねー…。いつまでも「無名な」人のままのつもりでいた。迂闊な。
とにかく、スタート時には、まわりはみんな知らない人、だった。こっちは一方的に知ってても、私を知っている人は誰もいない。なので、好き勝手に書ける。で、そういえば私はどう見られてるんだ?って疑問に気づいても、もういまさら、って感じで。
まあ、神経が図太いってことですけど。やっぱり露出趣味かな。
でも、私が書けることのなかで、私自身のことが、いちばん、他人にとっても役に立つのだとも、思っていますよ。多少ふつうでなくても平々凡々な人間なんだから、そんな、すごいこと、が書けるわけではないのだ。だからせいぜい自分のことを書いてればいいのだ。