「自由」の使い道

一昨日の続き。

もう少し、ひっかかってるので。
表現の自由」が必要だ、という論拠として、「民主主義」というのがあるけれど、まあ、私は、民主主義というものがこれまた「趣味ではない」ので、「表現の自由は保障されるべきだ、なぜなら民主主義の実現のためには表現の自由が不可欠だから」、とは、言わない(言えない)のです。ひとに訴えかける力はあるらしいので、言ったっていいんだけどさ。でも、「民主主義」より「表現の自由」のほうが大事なので、「表現の自由」は「民主主義」のための手段とは考えない。
……正確には、「民主主義は趣味ではない」ではなく、「民主主義というものが実現できるとは思っていない」。
民主主義は、社会の成員ひとりひとりに強く賢くあることを要請するけれど、人はそれほど強くも賢くもないので、無理だな、と。
国の調査員に面と向かって「規制すべきではない」とは言えないだろう、ふつうは……という意見があって、まあ、そうだな、と思うんだけど、ふつうはそうなんだけど、でもそれって弱い。「表現の自由」なんてあったって、言いたいこと、正しいと思うことも言えないのならば、「自由」が保障されてるかどうかなんてどっちでもいいじゃないか。
民主主義には表現の自由が必要、ということを認識していなくて「規制すべきだ」と回答したのだとしたら、それは賢さが足りません。
認識した上で、それでも子どもを守るためには規制が必要だ、規制が暴走しないように監視しよう、という意見ならば、傾聴いたします。
あとは、政治的発言の自由と、創作表現の自由は別だと考えている場合があるけど。これは、線引きが難しいと思うけれど。うーん。
まあ、なんにしろ、いろいろな意味で痛い調査結果であることには変わりないわけですよ。国がこんな誘導した調査をするってこと自体がすでに痛いし、それで誘導されるほうも痛い。いっそデータを捏造してるんだったらいいのに(よくない)。……こうやって考える時間があるならいいけど、対面だったら私も流されるだろうな……。というか内閣府っていったい何やってんの、美しい国づくりに関する特別世論調査(PDF)とかいうのも、そうとうアホなんですが……だから何が訊きたいんだ君らは、と、つっこみたい。
しかし、「安易に規制に賛成する人」に対しては、ことばを届かせる手段がない。ことに、インターネット上では。
もし、規制反対が9割というニュースを見たのだったら、私は、どんな調査だったのかって、元ネタまでさかのぼらなかったと思う。……いや、それはそれであやしいので(というかそっちのほうがもっとあやしいので)確かめるかもしれないけど。自分の意見と反対だから、つっこむ。けど、多数派だったら、気にしない。
その、気にしてない人に対して、気にさせるようにすることは、難しい……。
世の中にはいろんなことがあるので、いちいち一家言もってられないのである。


えーと、もうちょっと、続く……?