たびにっき・そのご

「その後」ではなく、「その五」です。いつまで続くんだ、これ……。ちっとも旅日記っぽくないし。
感覚ミュージアムというところに行きました。

仙台から特急バスで1時間弱、大崎市にあります。前は岩出山町といったみたいですが。
……えーと。

 このミュージアムの目的は、感覚体験を通して感性を磨き、想像力を高めることで、物質文明に生きる私たちが失いがちな「ゆとり」や「心の豊かさ」を取り戻すことにあります。
  ダイアローグゾーン(身体感覚空間)とモノローグゾーン(瞑想空間)の二つのゾーンから なる館内には、見る、聞く、触れる、嗅ぐといった体験により、感覚を意識することのできる展示がいっぱい。子供から高齢者まで、あらゆる世代が、さまざまな体験を通して、楽しみながらイマジネーションを高めることが可能です。

http://www.kankaku.org/summary/concept.htm

……まあ、「心の豊かさ」とか言われると、なんだかなあ、って感じですけど。べつにそんなもん豊かにしたくはない……。
モノ自体はおもしろそうだったので行ってみたのです。
……けど、これ、たぶん、誰かといっしょに行ったほうがいいです。そうじゃなきゃ、もっと客の多い日のほうがいい。平日の朝は、人が少なすぎて、テンションが上がらなかったのであった……。モノローグゾーンでさえ、誰かとひそやかに語り合うためにあるんじゃないかと思った。


昨日、博物館というのは珍奇なものを並べる場だと書いた。で、美術館というのも博物館の一種になるみたいですが(英語ではどっちもmuseumだけど)、でも、博物館にあるのはすでに役目を終えたもので、美術館にあるのは役目を果たし中なものになります。
はじめから飾られるべくつくられるのだから、その存在は強い。
けど、現代美術の多くは、美術、っていうわりに、「美しい」ことを目指していない、ように、感じます。……うー、まあ、私自身が、美しいものにあんまり敏感じゃないんだけど。
現実でもなく、異界でもなく、現実――というより、日常生活――の、裂け目、みたいなものを描く作品が多い、ような。で、それは、現実をより現実的に喚起するため、みたいな感じ。それは、真実というもの、かな。
……作品がどうとかいうより、これは、私の問題か……。意味を、考えちゃうんだよなあ。

たとえば 凄く綺麗なものがあればいいのに

なにかこう 誰が見ても文句が言えない様な
偽善な感じや安易さとか 全然感じない
それぞれの好みとかも越えた感じの
ひと目見て分かる美しいものがあったら
どんなにホッとするだろう

そしたらそればっかり見て
それを信じて暮らすのに

そんな、考えさせないものは、私も見たい……。

「あるとき 学校近くの画廊で先生の染色の作品展がありました

 …ぼくは哲学をやりはじめのころで 人間のことや世の中のことは頭で考えたらなんでもわかると思うてました

 自分はものすご頭ええと言われてたし自分でもそう思てたし 世界はすべてぼくの頭の中にあるのやとさえ思うてました

 …先生の “虹”という作品がありました

 一枚一枚違う色に染めた布を無数につなぎ合わせた たくさんの“虹”が まるい部屋のようになっていたのです

 ぼくは言葉を失いました

 なぜか “世界”が一瞬にして理解できた気がしました

 考えてもいないのに なぜぼくは今理解したんやろう

 それは人生が変わる体験でした」


雲の裂け目を、探して歩きながら、今日は、考えていたのでした。分厚い雲がのしかかってるけど、ちらっと青空が垣間見える、という天気で、こういう落差があったほうが写真は撮りやすい、と知っているからです。快晴は撮りにくいんだ……。でも、今日のもちょっと、難しかった。
私は、真実を撮ろうとはしていない、な。むしろ虚構のほうがいいな、と思う。けど、それは、真実を描こうとしていない、ということにもならない、きっと。……わかんないな。