たびにっき・そのろく

図書館に合わせて5時間以上いるという(しかも本を読んでいたわけではない)、観光客とは思えないことをやってたりしたんですが、その一軒目。

せんだいメディアテークです。
何をしに行ったのかといえば、建物を見に行ったのです。構造が特殊だとかで、有名な建築なんですな。しかし私は構造なぞわからんので、たんに、見た目で。見てみたかった。
思ったより小さいな、って印象だったんだけど、全景が撮れていない……。
けど、ぜんぜんうまい写真が撮れなかったー。


これは、私のカメラの腕の問題です。ここなら撮れる、っていうポイントがわからなかったので、カメラの性能のせいじゃない。(「カメラの腕」ってそういうものか? たぶん、そういうものです、とりあえずコンパクトデジタルカメラでは。)
で、がんばって動き回ろうにも、このときは筋肉痛で、しかも眠いし、3階の市民図書館のソファに居座ってしまったのであった。居眠りをしつつ、メモ帳にいろいろ書きつけていたのですけど、そのメモ、けっきょく、使ってない……書いたことをふまえているので、無駄じゃあないけど、うー。
なんか、このときは、「デザイン」と「芸術」の違いについて、考えていたらしい。
宮城県美術館で、高校の美術科の卒業制作展をやっていたので、それも見たんですけど……高校生って、頭いいんですね……私が十代の頃はこんなにしっかりものを考えてなかったような気がするんですけど……というか、考えていても表現はできなかったと思うんだけど……表現が未熟なのはいまもですか……。コンセプトが説明してある作品が多くて、芸術っていうより、デザインなのかなあ、と思ったんですけど、それってつまり、私は、説明がつくものは「デザイン」で、つかないのが「芸術」だと思ってるらしい。しかし、それをいったら、芸術の評論なんてものは成り立たないよなあ、と。
なんであそこでこんなことを考えていたかといえば、建築というのが、まさに「デザイン」と「芸術」の狭間にあって、けれど、作者(建築家)が説明をつけるジャンル、だからだと思う。説明をつけなければいけない、といってもいい。クライアントがいて、でかいお金が動くから。だから、ほんとうは、ちょっと思いついたからやってみたくなった、ってときでも、もっともらしい説明をつけてんじゃないだろな、とか、それで運用する人がどう使っていいかわからなくて困ってたりしてないだろうな、とか、妄想していた……。でも、建物って、「なんだかわからないところ」って必要だよなあ、とか思ったりする(それはたんに私の好みでは)。そうなると、なにやったって「デザイン」にとりこまれるかな、とか。