たびにっき・そのなな

もう一軒行った図書館というのが、宮城県図書館

これまた建物を見に行ったのですが……まあ、たしかに、へんな建物です。近くにあったら通っちゃうのにー、って思いました。でも写真はうまく撮れませんでした……。
宇宙船みたい、って聞いてて、ああ、宇宙船だ……って思ったけど、こんな宇宙船見たことないのになあ。


地元の人間でもないのになあ、って肩身狭くうろうろしてたら、展示室を発見した。
中国や日本での印刷の歴史だとか、紙のつくりかたの模型だとか。ハンドルをぐるっと回して印刷できる模型だとか。記念に刷って持っていってね、というので、持ってきた。

カッパの絵とか(あれは「魚蟲譜」というやつか)。
あと、地図。この「マテオ・リッチ撰「坤輿萬國全図」」ていうの。むかしの世界地図。


世界、と言われて思い浮かべるのは、地図ではない、のだけれど、じゃあ何か、といえば、絵的なイメージでは浮かべてない、ような……。
というか、私は地図が読めないんである。方向音痴なのだ。今日も、散歩してて、ここはどこ、状態に陥った(自宅から徒歩圏内で!)。いや、うちはあっちだ、っていうのはわかってたから、迷っていたわけではないのです、今日のは。それでもそのときいる場所はわかってない……。
方向音痴だというわりには、へいきでひとりではじめての場所を歩きますが……歩くのはいいんだ、自分で歩いて行けるところには、自分で歩いて戻れるから。路線バスに乗るのは苦手。電車は、線路があるから、まあ、いい。でも、迷った、ってときでも、引き返さないんだけど……。
じつは、方向音痴だっていう自覚は永らくなくて、なんでかというと、道順はおぼえるからである。一度行った場所なら、また行けるから、それほど困らない。方向音痴って、記憶力の問題じゃないのだ。頭の中に地図がないというか、自分では地図をつくってるつもりなんだけど、どうやら合っていない。道を直線でしか考えられないから、ぜったいに矛盾が生じてるんだけど、修正できない。地図というものの存在を知らなかったら、違う記憶方法になっていたんだろう、と思う。通常には見えない視点の図なのだから……人は鳥瞰できない。
……世界はこんな形をしている、と、世界地図を見せられた昔の人は、びっくりしたのか、と、考えているのです。