ほんものではない教会


(ねこに背を向けられたー。)
五十嵐太郎「結婚式教会」の誕生』を読んだ。表紙が秀逸。そのあとに、近くにあったのでついでに、って借りた亀田博和『教会のある風景―日本の教会美を訪ねて』を読んだのだけれど、それ読んだらなおさら、多くの日本人にとっては「教会」って建物のことを指すのだなあという感じが強まった。
「結婚式教会」というのは著者の造語で、「地元の信者をもたず、礼拝や葬式などの宗教儀式がなく、結婚式のためだけにつくられた教会の姿をもつ独立した構築物」をいいます。ほんものの教会――聖職者がいて、信者が集まって、ミサとかやったりする場所、は、教会らしい姿をしているとは限らない。なるしまゆり不死者あぎと』でもビルの一室だったと思う。私が前に住んでたアパートの1階も教会でした。でも入ったことはない。

宗教学を研究するあるイタリア人に結婚式教会をどう思うかとたずねたら、信仰もないのに教会を建てるなんて、お金がもったいないと答えた。ある意味では、結婚式教会はきわめて日本的な「宗教」建築といえよう。筆者が国際ワークショップなどで欧米の聴衆に向けてレクチャーを行うときに、結婚式教会の存在を紹介すると、やはり反響が大きい。また国際的に活躍するある建築家から聞いたはなしだが、キリスト教の信者ではない事務所のスタッフが西洋風の結婚式を行い、それに出席したヨーロッパ人の所員がなんという産業だ、そしてなんと日本的なんだと驚愕したらしい。

「まえがき」より。
日本的だ、というのは、わかる。

「てんけーてきな日本人?」

無宗教といいますか  …いや 難しいですね 説明するのは。
 彼らの多くは神の存在を信じないわけではないのですが名前などどうでもいいのです」

で。
ターゲットは女性だっていうんですね。とにかくウエディング・ドレスが映えるように、階段をわざわざ長大につくり、バージンロードを長くする。
しかし、なあ。なんていうかなあ。
金田一蓮十郎『チキンパーティー』の何巻だったか忘れたけど、お昼休みの公園で、OLふたりの会話のエピソードがあったんですが。例によって記憶で書きます。港かどっかで彼氏と夜景を見ていて、彼がうっとりと盛り上がった口説き文句を言ってきて、たしかにきれいだけどどうしてそんなに盛り上がっちゃってんの?って思ったー、と、ひとりが言い、そう言ったの?ってもうひとりが訊きかえすと、まさかあ、頬染めて目を閉じたよー。お土産に甘夏みかん(仮)をもらって、嬉しかったから大袈裟に喜んでみせたら、お土産がずっとそればっかりになっちゃって、いくら好きだっていったって限度があるよねえ、ってひとりが言い、そう言えばいいのに、ってもうひとりが指摘すると、ううん、ずっと大袈裟に喜んでみせてる。そういう彼氏ネタをふたりで出し合い、結論、「ほんっと、男って、かわいいよねえー」。
……まあ、なんつーか、私も、六本木ヒルズのホワイトデー用ムーディーな部屋を見て大笑いした前科がありますけど。これで夢心地になる人がいる、というより、これで夢心地になる人がいると思っている人がいるだけ、のような。
女性たちが、どれだけ「本気」で、ゴシックやロマネスクな教会で、きれいなウエディング・ドレスを着たいのか、あんまり信じられない……。そんな感じの女性の知り合いが、いまだかつていないし(←女性の知り合い自体少ないだろう)。
と、思ってたんだけど、今日、神社に行って絵馬を見てたら、「ステキでハンサムな彼氏ができますように」「私に合った旦那さんができて幸せになれますように」というのを発見して、なんとなく納得した。ああ、たしかに、ゴシックやロマネスクな教会で、きれいなウエディング・ドレスを着たい女の人は、実在する。らしい。
……ん、いや、どうなんだろう?

(座面の低い椅子が欲しいー。)
ちなみに今日が、とある王国で結婚式をやっている日だというのはぐうぜんです。