今日はおやすみ


不定休なので曜日の感覚があやしくなってきた、ので、叫んでみる。
……んん、火曜日でいいんだよな……?


どうにも歴史を知らなすぎるんではないかと、図書館で、歴史の棚の前に立ってみるも、どこから手をつけていいのやらわからん……で、ノーマン・ソロモン『ユダヤ教 (〈1冊でわかる〉シリーズ)』を手にとってみた。えっ。
半分寝ながらざっくり読んだだけなので、わからんのだけども、「一神教の信仰をもつ」ということに対して、ぜんぜん、想像がおよんでいない、ということは、わかった……か? かみさまがひとり(一柱?)なのかふたり以上なのか、っていうのは、まったく違うことなんだろう。私の感覚では、かみさまが間違ってようが、かみさま同士でケンカしようが、まあそういうこともあるよね、って感じなのだけれど。ひとりだど、全知全能の創造主で無謬なのだよなあ。たいへんだ(信じるほうが? 信じられるほうが?)。

「つねに主を覚えてあなたの道を行け」(箴言三章6節)という言葉は、ユダヤ教の伝統で霊性というものが理解される仕方をよく表している。単に「宗教的な」義務を行うことだけではなく、生活のすべての局面が、神への献身(デボーション)の手段となるべきなのである。真の意味での霊性、ないし信心とは、祈りや学びや禁欲的な修行の中にだけでなく、日常生活の社会的な諸関係の中にも見出されるものなのである。